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死者を嗤う
ししゃをわらう
作品ID60760
著者菊池 寛
文字遣い新字新仮名
底本 「世界は笑う〈新・ちくま文学の森13〉」 筑摩書房
1995(平成7)年9月25日
初出「中央文學」1918(大正7)年6月号
入力者hitsuji
校正者友理
公開 / 更新2022-03-06 / 2022-02-25
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 二三日降り続いた秋雨が止んで、カラリと晴れ渡った快い朝であった。
 江戸川縁に住んでいる啓吉は、いつものように十時頃家を出て、東五軒町の停留場へ急いだ。彼は雨天の日が致命的に嫌であった。従って、こうした秋晴の朝は、今日の裡に何かよい事が自分を待っているような気がして、何となく心がときめくのを覚えるのであった。
 彼は直ぐ江戸川に差しかかった。そして、小桜橋と云う小さい橋を渡ろうとした時、ふと上流の方を見た。すると、石切橋と小桜橋との中間に、架せられている橋を中心として、そこに、常には見馴れない異常な情景が、展開されているのに気が附いた。橋の上にも人が一杯である。堤防にも人が一杯である。そしてすべての群衆は、川中に行われつつある何事かを、一心に注視しているのであった。
 啓吉は、日常生活においては、興味中心の男である。彼はこの光景を見ると、直ぐ足を転じて、群衆の方へ急いだのである。その群衆は、普通、路上に形作らるるものに比べては、かなり大きいものであった。しかも、それが岸に在っては堤防に、橋の上では欄杆へとギシギシと押し詰められている。そしてその数が、刻々に増加して行きつつあるのだ。
 群衆に近づいて見ると、彼等は黙っているのではない。銘々に何か喚いているのである。
「そら! また見えた、橋桁に引っかかったよ。」と、欄杆に手を掛けて、自由に川中を俯瞰し得る御用聴らしい小僧が、自分の形勝の位置を誇るかのように、得意になって後方に押掛けている群衆に報告している。
「何ですか。」と啓吉は、自分の横に居合せた年増の女に訊いた。
「土左衛門ですよ。」と、その女はちょっと眉を顰めるようにして答えた。啓吉は、初めからその答を予期していたので、その答から、何等の感動をも受けなかった。水死人は社会的の現象としては、極くありふれた事である。新聞社に居る啓吉はよく、溺死人に関する通信が、反古同様に一瞥を与えられると、直ぐ屑籠に投ぜられるのを知っている。が実際死人が、自分と数間の、距離内にあると云う事は、全く別な感情であった。その上啓吉は、かなり物見高い男である。彼もまた死人を見たいと云う、人間に特有な奇妙な、好奇心に囚われてしまった。彼は幾何かの強力をもって、群衆の層の中へと、自分の身を割込ませて行ったのである。が、その群衆はかなりの密度を持っていて、容易には新来者を容れないのである。啓吉は、懸命に努力して、群衆の中心へ這入る事が出来た。が、まだ自分の前には二三人、人が居て水面の一部をも覗き込む事は出来なかったが、大抵の様子は判った。死人は啓吉の立っている岸の直ぐ下の水中に在るらしい。そして巡査一人と、区役所の人夫が二、三人とで、しきりに引揚に掛っているらしかった。
「這入らなきゃ、駄目じゃないか。思切ってはいっちまえよ。そんな手附じゃ引っかかりこはないよ。」
 と、一番形勝の位…

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