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鵠が音
たづがね |
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作品ID | 60791 |
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副題 | 01 鵠が音 01 たづがね |
著者 | 折口 春洋 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「鵠が音」 中公文庫、中央公論社 1978(昭和53)年8月10日 |
入力者 | 和田幸子 |
校正者 | ミツボシ |
公開 / 更新 | 2023-02-28 / 2023-02-18 |
長さの目安 | 約 85 ページ(500字/頁で計算) |
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[#ページの左右中央]
昭和十九年 ――五十首――
[#改丁]
この日頃 一
暁の寒き真闇に 別れたるかの下士官は、到りつらむか
雪ほのに見えて しづもる向ひ山。暗きに起きて、兵を発たしむ
健やかに征きてかへれと 告げて後、たち征きにしが、まだ暗き営庭
若くして 心真直に征きにける伍長一人を 心にたもつ
この日頃 二
きほひ来し学徒も 今はおちつきて、おのも しづけき兵となりゆく
近々と 山の残雪のさびしきに、夕方早く 雨となりたり
この日ごろ。深く身に沁む戦ひの夢に 目ざめつ。しづけき眠り
敵、まあしやるに上陸す
つばらかに告ぐる戦果を きゝにけり。こゝに死にゆく兵らを われ知る
若きらが たち征きて後 絶えゐしが、まさに はげしきたゝかひに入る
洋なかの島に とよもし来たる讐 つくして来よと 切にし思ふ
俤に顕ちて 消えずも。はるかなる若き兵士らは 死なしめゝやも
さ夜ふかく 心しづめて思ふなり。一人々々 みなよく戦はむ
[#挿絵]
兵とある自覚を 深くおのがじしもてとさとして、たかぶり来たる
汝らが身は 公びとの他あらめや 深くさとして、心しづめ居り
宵早く 道の残雪の凍て来るに、堪へがたく立ちて 兵をはげます
族びとの深き思ひを 負ふ身なり。ますら雄ごころ ふりおこすべし
別れ来て
別れ来て、勤めに対ふすべなさよ。とほ嶺のみ雪 あまり輝く
春畠に菜の葉荒びしほど過ぎて、おもかげに 師をさびしまむとす
東に 雪をかうぶる山なみの はろけき見れば、帰りたまへり
つゝましく 面わやつれてゐたまへば、さびしき日々の 思ほゆるかも
朝けより 彼岸中日空低く、霰のはしる道を 来にけり
人のうへのはかなしごとを しみ/″\と喜び聞きて、師はおはすなり
村田正言を憶ふ
かへり来て、夕日まだある空ひろし。さびしき死にを 思ひやまずも
今はまたく遙かになりし常徳の いくさのさまは、伝ふることなし
一兵卒として 過ぎにけり。よき性の、心を離れず、一日すぎにき
年長く つひに 音なき汝が死は、思ひ見れども さびしかりけり
この日頃 三
春の日の 山にはたらく人音の かゝはりなくて、しづかなりけり
雨ののち 照る日しづけき春の日の空に澄みゆく鳥は、さびしき
朝晴れて 芽ぶきに早き傍山の 辛夷一もと 照り出でにけり
[#挿絵]
営庭に 暁起きの肌寒く、兵をたゝせて 点呼を了る
しみ/″\と兵を諭して、うつらざるかたくな心に さびしくなりぬ
五六人の兵を起たしめて、民族のたぎる血しほをもてと 言ひ放つ
明け発ちの部隊を思ひ、夜ぶかきに ふたゝび目ざめ、ひそけき牀なり
ひそけき思ひ
さ夜ふかく 別れをのぶる顔々の、はれ/″\しきに 思ひしむなり
…