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現代語訳 平家物語
げんだいごやく へいけものがたり
作品ID60796
副題13 灌頂の巻
13 かんじょうのまき
著者作者不詳
翻訳者尾崎 士郎
文字遣い新字新仮名
底本 「現代語訳 平家物語(下)」 岩波現代文庫、岩波書店
2015(平成27)年4月16日第1刷
初出「世界名作全集 39 平家物語」平凡社、1960(昭和35)年2月12日
入力者砂場清隆
校正者みきた
公開 / 更新2022-12-28 / 2022-11-26
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

大原入(女院御出家)

 壇の浦で入水するところを、源氏の兵に救い上げられ、京に帰った建礼門院は、昔とはうって変った侘しい生活を続けていた。
 昔、中納言法印慶恵という、奈良の僧が住んでいた坊が、空家になっていたところに住まわれていたが、見るかげもない廃屋で、草深い庭に囲まれ、寝所を掩う簾さえもない有様で、これが、かつて絢爛豪華な宮殿に、多くの侍女にかしずかれて過した人の住居とは、到底、信じられなかった。
 それにつけても、まだ、西国の波の上で、仮寝の夢を結んでいた生活の方が、ずっと幸せであったような気がして、思い出話といえば、直ぐ、あの当時は苦しかった西国の海上生活のことであり、あの時は誰々が生きておいでであった、あの方もまだご無事でおいでであったなぞと、今は亡き人々のことばかりが、ひとしきり話題にのぼり、それが涙をそそる種となるのである。
 この世に何の望みもなくなった女院は、いよいよ出家の決心を固められ、文治元年五月一日に、御戒の師に、長楽寺の阿証坊の上人印誓を選んで髪を切られることになった。
 御布施には、今まで形見にと思って大切に持っていた先帝の直衣を、他に適当な物がなかったので、泣くなく取り出されて、上人に渡されたのである。印誓上人もあまりの痛わしさに涙ながらにおしいただいて、帰っていった。
 女院が女御の宣旨を受けられたのは十五歳の年で、翌年中宮となり、二十二歳で皇子を生み、皇子が即位されて安徳帝となられて以来は、院号を賜わり、建礼門院と称したのである。
 清盛の娘という幸運にめぐり合わせた上、内裏へ入られてからは天下の国母と仰がれ、人々の尊敬と羨望を一身に集めていた。丁度、今年で二十九歳である。花の盛りを過ぎたとはいえ、天性の美貌は少しも衰えを見せなかったが、今となっては、もう誰に見せる必要もない黒髪であったから、惜し気もなく切り捨てて、仏門に入ったのである。
 しかし、出家したからといって、簡単に思い切るには余りにも辛いことの多かった半生であった。先帝始め二位殿の最後の様子は、いくら忘れようと努力しても忘れられるものではなく、山鳩色の御衣を召し、びんずりに結った可愛らしい帝の面影は、まぶたの底にこびりついて離れず、いつ憶い出しても涙のつきることがなかった。夜になって床に就いても、目を閉ずれば、幼い帝の顔、入水していった人々の姿が、あざやかによみがえって、眠られぬ夜を過してしまうのである。
 五月の風に誘われて、時鳥が、時折、二声三声と鳴いて過ぎた。昔に変らぬ時鳥の鳴き声が、女院に華やかな宮廷生活を憶い出させたものであろう。硯の蓋に、一首の歌を書き記されるのであった。

郭公花たちばなの香をとめて
  鳴くは昔の人ぞ恋しき

 女院につき従っていた女房たちも、源氏の武士に捕えられて都へ帰ってからは、とても人前にも出られぬような姿で、哀れな暮し…

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