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現代語訳 平家物語
げんだいごやく へいけものがたり |
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作品ID | 60798 |
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副題 | 07 第七巻 07 だいしちかん |
著者 | 作者不詳 Ⓦ |
翻訳者 | 尾崎 士郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「現代語訳 平家物語(下)」 岩波現代文庫、岩波書店 2015(平成27)年4月16日第1刷 |
初出 | 「世界名作全集 39 平家物語」平凡社、1960(昭和35)年2月12日 |
入力者 | 砂場清隆 |
校正者 | みきた |
公開 / 更新 | 2022-07-06 / 2022-06-26 |
長さの目安 | 約 45 ページ(500字/頁で計算) |
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北国下向
寿永二年三月上旬、同じ源氏同志の木曽義仲と兵衛佐頼朝との仲にひびが入った。頼朝は、義仲を討つために十万余騎を引き連れて、信濃国へ乗込んでいった。驚いた義仲は、依田城を出ると、信越の境にある熊坂山に陣をとり、信濃国善光寺に着いた頼朝のところへ、乳母の子で、腹臣の家来でもある今井四郎兼平を使者として送った。
「どういうおつもりで、義仲を討とうとおっしゃるのですか。貴方は、東八カ国を従え東海道から、私は、東山、北陸道よりと、目的は同じ、一日も早く平家を滅したいということである筈、それを、ここで、貴方と私が仲違いし、同志討ちしたとあっては、今までの苦心も水の泡です、平家の者どもから嘲笑を買うことも目に見えております。確かに、貴方と仲の悪い十郎蔵人殿は私のところに来ました。しかしわざわざ、義仲の許に来たものを、すげなく帰すのも、気の毒で、今はいっしょにくらしておりますが、そうかといって、この義仲が、貴方に恨みがあるとは、余りに突飛ないいがかりでしょう」
これに対する頼朝の返事は、
「今はそう申しているが、確かに貴殿が、この頼朝を討とうという謀叛の企てがあると申した者がいるのです。今更、何をいわれても無駄ではありませんか?」
といって取り合わなかった。その上、土肥、梶原などを先陣に、既に討手さえ差し向ける気配であった。慌てた義仲は、謀叛心のないことを証明するため、嫡子清水冠者義重という当年十一歳の息子に、海野、望月、諏訪などといった一騎当千の侍達を付けて、人質にさし出したので、頼朝も始めて義仲の本意を覚り、まだ子のないところから、義仲の子を引きとって育てようと、一緒に鎌倉に連れて帰った。
義仲は、東山道、北陸道をあらかた従え、旭日昇天の勢いで、都を目指して攻めのぼる気配であった。
平家の方でも、去年から、今年は戦があるからと予告しておいたので、山陰、山陽、南海、西海から雲霞のごとき軍勢が集ってきた。東山道からは、近江、美濃、飛騨のものが来たが、東海道では、遠江から東の者は源氏に味方し、それが北陸道となると、若狭以北は一兵も集らなかった。
義仲を討った後、頼朝を平げようと、北陸に向けて平家の諸将が下向することになった。
大将軍に、小松三位中将維盛、越前三位通盛、但馬守経正、薩摩守忠度、三河守知度、淡路守清房、侍大将には、越中前司盛俊、上総大夫判官忠綱、飛騨大夫判官景高、高橋判官長綱、河内判官秀国、武蔵三郎佐衛門有国、越中次郎兵衛盛次、上総五郎兵衛忠光、悪七兵衛景清の面々、合わせて十万余騎の大軍が、寿永二年四月十七日、都を出発したのである。途中、沿道よりの徴発を許された彼らは、行く道々で、租税といわず、物具、食料、ありとあらゆるものを奪いとったので、しまいに、沿道に当る家の者は、家財道具を持って逃げ出す始末であった。
竹生島詣
北国へ向けて進…