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現代語訳 平家物語
げんだいごやく へいけものがたり |
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作品ID | 60802 |
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副題 | 06 第六巻 06 だいろっかん |
著者 | 作者不詳 Ⓦ |
翻訳者 | 尾崎 士郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「現代語訳 平家物語(上)」 岩波現代文庫、岩波書店 2015(平成27)年4月16日第1刷 |
初出 | 「世界名作全集 39 平家物語」平凡社、1960(昭和35)年2月12日 |
入力者 | 砂場清隆 |
校正者 | みきた |
公開 / 更新 | 2022-06-08 / 2022-05-27 |
長さの目安 | 約 37 ページ(500字/頁で計算) |
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新院崩御
治承五年の正月が来た。今年の内裏の正月の淋しさは又格別で、うち続く兵乱のあとでは、正月を祝う心持にもならず、拝賀の式はとりやめ、主上も出御されず、例年の宴会さえ行なわれなかった。陰気に湿った空気が御所の内々を満たし、正月らしい華やかさはどこにも見られなかった。世間は何となく不穏の気がみちみち、今に何か起りそうだという暗い予感が人々の心をとらえていたからである。
正月五日、南都の僧のうち重立った者は官職を解かれ、又、衆徒の殆んどが射殺され、斬殺され、ここに長い歴史を誇って君臨してきた、東大寺、興福寺も滅亡したのである。しかし、それにもかかわらず、正月八日から十四日まで行なわれる御斎会は例年通りというお布令が出たが、南都の僧の全滅した今となっては、顔ぶれを揃えるのも難しい。それでは、京の僧達にやらせようという気にもなったが、とにかく、南都から一人も出席しないのはおかしいという意見もあり、結局、勧修寺に隠れていた成法已講が探し出されて、御斎会の儀は滞りなく済んだのであった。
高倉院は、一昨年以来うち続いた種々の事件で、心も体もすっかり疲れ切っておられた。とりわけ、法皇の鳥羽移り、高倉宮のご最後、福原への都移りなど、かつてない忌わしい出来事の連続で、年若い院には余りにも心の重荷がかち過ぎる激しい世の移り変りであった。
東大寺、興福寺の滅亡を聞かれて以来、以前からすぐれなかった健康が、どっと悪くなられたようである。正月十四日、ついに、その聖徳と仁智を慕われ、人々から惜しまれつつ世を去られた。齢僅か二十一歳、漸くこれからという花の盛りにご逝去になったのである。
澄憲法印は、新院のなきがらを焼く煙をみながら、
常に見し君が御幸を今日とえば
帰らぬ旅ときくぞ悲しき
と詠んだ。
高倉帝は幼い頃から、心の優しい方で、十歳になった頃から、ひどく紅葉がお好きで、わざわざ御所の内に紅葉を植えさせて、一日中あきることなくご覧になっているのだった。ある夜、突然の嵐で、この紅葉が一夜のうちに散りぢりになってしまった。庭掃除の下役人が、翌朝あたり一面散らばった紅葉をきれいに掃除した。その朝は又ひどく冷えこむ日で、不図思いついて、その紅葉で酒を燗して腹を暖めたのであった。
丁度そこへ、やはり夕べの嵐が気になって、係りの者が紅葉の様子を見にやってきた。
折柄ぱちぱちと気持の良い音をたてて燃えるたき火の前で、下役人が呑気に酒を酌み交しているのにびっくりした。
「やあ、何という心ないことをするのじゃ、あれほど主上が大切にしておられる紅葉をこのようにいたして、お前らは恐らく禁獄になるだろう、管理不行届きの私もどんなおとがめがあるかわからぬ」
と早くも声を震わせている。下役人も今更ながら、わが身のおろかさに気づいたが、灰となった紅葉の前で悄然とうなだれていた。そこ…