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正直な泥棒
しょうじきなどろぼう
作品ID60809
副題――無名氏の手記より――
――むめいしのしゅきより――
原題ЧЕСТНЫЙ ВОР
著者ドストエフスキー フィヨードル・ミハイロヴィチ
翻訳者米川 正夫
文字遣い新字新仮名
底本 「ドストエーフスキイ全集 2」 河出書房新社
1970(昭和45)年8月25日
入力者いとうおちゃ
校正者三輪朋加
公開 / 更新2023-12-29 / 2024-01-29
長さの目安約 44 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ある朝、わたしが役所へ行こうと思って、すっかり支度をしてしまったところへ、アグラフェーナが部屋へ入って来た。これはわたしの台所女でもあり、洗濯女でもあり、家政婦でもあったが、驚いたことには、わたしと話をはじめたものである。
 今までのところ、アグラフェーナはひどく無口な田舎もので、今日の食事は何にしようかといったような、毎日きまりきったことをひと言ふた言いう以外、六年間にほとんどなに一つ口をきいたことがない。少なくとも、わたしはこの女からついぞなんにも聞いた例がないのだ。
「あの、旦那、ちょっとお邪魔にまいりましたが」と彼女は思いがけなくいい出した。「あの小っこい部屋を貸しなさったらどんなもので?」
「小っこい部屋ってどれだね?」
「ほれ、あれですよ、台所のわきにある。どれってきまっとりますよ」
「なんのために?」
「なんのためにですって? だって、みんな間借り人を入れてるじゃありませんか。なんのためって、きまりきった話でさあね」
「でも、だれがあんなものを借りるもんかね」
「だれが借りるかって! 間借り人が借りますよ。わかりきったことじゃありませんか」
「だって、あそこにゃ、お前、寝台を置くこともできないじゃないか。狭くってしようがありゃしない。だれがあんなとこに住めるもんか?」
「何もあすこに住むことなんかいりゃしませんよ! ただ寝るとこさえありゃよろしいんで。住むのは窓の上だって住めまさあね」
「窓ってどこの窓なんだね?」
「どの窓って、きまってるじゃありませんか、まるでごぞんじないみたいに! 入口の間にある窓でございますよ。あの上に坐って、針仕事なりなんなりすることができますよ。さもなくば、椅子に坐るかもしれません。その人は椅子も持っとりますからね。それにテーブルもございます。なんでもありますよ」
「その人ってのはいったいだれだい?」
「なに、いい人でございますよ、世馴れた人でね。わたしはその人に食べものの支度をしてやりますよ。部屋と食事と合わせて、月々銀貨三ルーブリもらうことにしました……」
 長いこと苦辛したあげく、やっとわたしは聞き出すことができた。ある中年の男がアグラフェーナを説きつけて、というより、うまく話を持って行って、間借り人兼居候として台所へ入れてもらうように、納得させたとのことである。ところで、いったんアグラフェーナの頭に浮かんだ考えは、必ず実現されなければすまなかった。さもない限り、彼女はわたしをじっと落ちつかせることではない、それをわたしは経験で知っていた。もし何か気に添わないことがあると、彼女はすぐさま考え込んでしまって、すっかり気鬱症にかかってしまう、しかもそういう状態が二週間も、三週間もつづくのであった。そういう時には、食べ物は悪くなる、洗濯物は数が足りなくなる、床は掃除してくれない。ひと口にいえば、いろいろといやなこと…

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