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文芸家の生活を論ず
ぶんげいかのせいかつをろんず
作品ID60882
著者佐藤 春夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 佐藤春夫全集 第19巻」 臨川書店
1998(平成10)年7月10日
初出「新潮 第二十三年第九号」新潮社、1926(大正15)年9月1日
入力者友理
校正者持田和踏
公開 / 更新2023-04-09 / 2023-04-04
長さの目安約 36 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 先々月の新潮合評会席上で、作家の稿料の事などに就いて僕が簡単に発言したところ、今月号の二三の雑誌に多少の反響があつた。発言者として言ひ甲斐のあることである。ただ困つたことには、僕の本当に言はうとした意味を了解してゐるらしい人は殆んどない。わざ/\曲解してゐるとすれば軽蔑して過しただけでも足りるのだが、若しさうでなくて僕の言葉が足りない為め僕の主旨が通じないのだとすると、多少残念でないこともないので、それに前々からいづれは言つてみたいと思つてゐた事柄ではあり、旁々もう一度ここに述べ直してみる。今度は、僕の性分には合はないことだが出来る事ならでくのぼうにでも解るやうに、噛んで含めるやうに申述べたいものである。従つてこの文章の七くどい事は予め御断りして置く。

 僕が今日一流の文学者の稿料が高過ぎるやうに思ふといふことは、一般の操觚者の稿料が多過ぎるといふ事を決して意味しないので、却つて一般の操觚者のそれが尠ないのに対して、三四五人の文学者の稿料が過分に多過ぎるだらうといふことを言はうと思つたのだつた。僕の今から言はうとすることの本旨は、一般の操觚者の稿料を今日より引下げたいといふ事を意味するのでないことは、いづれ追々とわかるであらうが、先づ第一に念を押して置きたい事なのだ。
 それにしても僕は何故、一般の操觚者の稿料が尠ないといふ事を言ふ前に、少数の作家の稿料が高過ぎるといふ事を言はなければならぬか。又、何に比較してそれが高過ぎるか。その点から先づ言つてみる。
 一たい今日の作家のうちの極く少数の人々が得てゐるといふ稿料が、四百字詰めの原稿用紙にして、一枚最高何円であるか何十円であるか僕は精確には知らない。しかし吾々同業社会の消息通が伝ふるところに依ると、婦人雑誌の稿料の如きは二十円以上三十円までだといふやうな事を僕はきく。また僕自身のたつた一遍の経験によれば、或る婦人雑誌は僕に十五円の稿料を支払ひ、その使としてそれを届けて呉れた人は「若しこれで尠くて不満のやうならば、要求して呉れゝばもつと出させてもいい」と言つた。僕は十分だと思つたし、そればかりか要求すればもつとやらうといふ言ひ分の中に、先方は親切のつもりであらうが偏狭な僕には多少つむじを曲げさせる何ものかがあつたので、僕は満足して受取つたことであつたが、後に人から聞けば、要求しさへすれば当然二十円は呉れるといふ話であつたから、世上に伝はつてゐるのも事実に近いだらうと思ふ。だから僕はそれを根拠にしてものを言はうと思ふ。(だが、それが若し事実ではなく、作家自身或ひは編輯者からの一種宣伝的な言葉であるとしたならば、作家自身が、或ひは雑誌経営者が、何故にそのやうな言ひ草を以て宣伝するかといふ事に就いて、これが若し経営者側から出たとすれば、僕はやはり文芸家なるものが侮蔑されてゐるやうな感じを持つものである。また文芸…

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