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魂魄分離
こんぱくぶんり
作品ID60930
著者森 於菟
文字遣い新字新仮名
底本 「耄碌寸前」 みすず書房
2010(平成22)年10月15日
入力者津村田悟
校正者hwakayama
公開 / 更新2025-12-21 / 2025-12-20
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 明代末葉のころらしい。
 江西省南昌府の城門外数里の地に北蘭寺という古刹があった。数名の若者がその寺内にいくつかの房を借り、進士となるのを目的として科挙に応ずる準備の読書をしていた。
 その中で魏生と張生とは気の合う所があったので、互いに何事も打ち明け、年長の魏生は張生を弟のごとくいたわり、張生はまた魏生を兄のごとく敬って、その交情は僚友もうらやむほどであった。
 秋の初めごろ魏生はそこから余り遠くない郷里にいる母が病にかかったという知らせを受け取って看護のためにこれに赴いた。
 今は心を語るべき友なくひとりその房に淋しく書をひもときつつ朝夕魏生の上を思うていた張生はある夜燈もようやく暗く睡気を催したので牀に上って眠った。ふとした物音に張生が眼を開くと、魏生が扉を排して入ってくるのであった。やがて彼は音もなく牀に近づくと顔を寄せ張生の背をなでて言った。
「私は君に別れて国に帰ったが老病の母をみとるうち、はしなく時疫に感染して数日で死んだ。今の私は幽鬼で、朋友の情割き難く君に訣別を告げに来たのだ。」
 年少の張生はふるえ上って言葉を出すことができないのを、鬼は慰めて、
「怖がらなくとも好い。私に君を害しようとする心があれば何でありのままを君に告げよう。落ち付いて私の頼みをきいてくれたまえ。」
とねんごろに言ったので張生も少し安心した。魏の幽鬼は重ねて言った。
「私には七十余りの老母とまだ若い妻がある。数斛の米があれば生を養うに足りるが私が死んではこれを見てやるものがない。君が私との交わりを忘れず私に代ってこれをめぐんでくれるならば私はその恩を忘れまい。また私はかねて書き著わした書物の草稿を一かさね書棚に入れて置いた。あれを梓に上して私の名を不朽にしてくれればこんな有難いことはない。なおもう一つは生前売筆商に銭数千の借りがあるのであれもかえしてもらいたい。」
 張生はそのすべてを快く引き受けた。魏生は世にもうれしそうな顔をして立ち上り、
「君にみな承知してもらってこれに過ぎた満足はない。」
と言って既に立ち去ろうとするのを、今は少しも怖れる心がなく、ただ懐かしさで胸いっぱいの張生は泣いてこれを引きとめて言った。
「もう君とは長い別れになるのだからもう少しいてくれたまえ。」
 魏生の幽鬼も涙を流して牀に帰り物語をつづけるうち、卒然として幽鬼は立ち上って言った。
「ああ、もう帰らなければならぬ。」
 突っ立ったまま凝然として動かない。見れば両眼を恐ろしくみはり、その上に相貌全体が刻一刻醜くゆがんで来る。張生は大いに怖れ、
「君は話がすんだのだから早く帰るが好い。もうやがて天明も近いだろう。」
と促したが魏生は無言で直立したまま動かない。張生は牀を叩いて叫んだが依然として屹立したままである。
 今は魂身に添わず、張生は牀から起き上って房の入口の方に逃げると、幽鬼は後…

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