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麻雀インチキ物語
まあじゃんインチキものがたり |
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作品ID | 60934 |
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著者 | 海野 十三 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「ひりひり賭け事アンソロジー わかっちゃいるけど、ギャンブル!」 ちくま文庫、筑摩書房 2017(平成29)年10月10日 |
初出 | 「新青年」1930(昭和5)年7月号 |
入力者 | sogo |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2022-05-17 / 2022-04-27 |
長さの目安 | 約 9 ページ(500字/頁で計算) |
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インチキとは、不正手段である。だから君子のなすべきものではない。
近来、日本のゲーム界に君臨している麻雀にも、いろいろとインチキが可能である。日本麻雀聯盟でも、無論、インチキを排斥している。インチキをやっているところを見付かった連中で、麻雀段位を褫奪され、揚句の果、聯盟から除名されたような結果(というと、妙な言いまわしかただが、僕はいまだかつて、「何某、右の者インチキ現行を取押えたるに付、会則第何条により除名す」という掲示を見たことがないからである)になった人も、けっして尠くはないのである。
インチキは排すべく、厳重に取締るべきである。ことに、一緒に卓を囲んで闘った面子の一人が、自分の二千符をほとんどみんな攫ってゆき、その面子一人が断然一人勝ちでプラス四千点にもなったというが、麻雀大会閉会後、「あいつは、インチキの名人なんだ」と誰かに聞かされたときは、全く口惜しくって泪が出る。その男の首を捩じ切って、会場の正面へ曝したいくらいに思う。インチキ発見のときは厳罰に処すべきである。
だが諸君、ここに一つの問題があると思うのは、誰かのインチキに、まんまと引懸ったのが自分ではなく、他人の友人か誰かであったとしよう。そのときにも、自分が引懸ったと同じ程度に相手の不正を攻撃するかというのに、どうも左様ではなくむしろインチキにかかった其の友人の間抜けさ加減を嗤いたくなり、インチキを用いた悪人に、一寸した尊敬にも似た感情を生ずるのである、そりゃ無論、一時的の話ではあるけれど……。そうしてみると、麻雀のインチキも、一寸ユーモアがあるような気もする。
僕は麻雀のインチキについて、大分研究した。それはインチキを自ら用いて、大会一等賞の洋銀カップをせしめようという目的では勿論ない。度々インチキにひっかかったことを後から知って口惜しさにたえず、もうこれからは引懸るものかと、研究してみたのである。現在ではまずインチキに引懸けられていない心算だが、なにしろこれは自覚症とは反対のものなのだから絶対に引懸けられていないと強く言い放つことはできない。
さてこれから、インチキ曝露だか、インチキ伝授だかを始めるわけだが、僕の相手になるインチキストは、わりあいにタチのよい人間、つまり生れながらの悪人ではないせいかその用いるところも、初等インチキに属するものばかりのようである。高等インチキの方は僕に探偵力がないせいでもあろう、その方の講義は、他に適当なる麻雀闘士があろうと思う。
初等インチキというのを見廻すと、中村徳三郎氏の「麻雀防弊」に於て示されたような外国で行われる深刻極まりなきインチキに比較して、いかにもアッサリした、コソ泥的とも言え、また日本的(?)とも言えるものばかりである。実例について申し述べてみよう。
まず最も多いインチキは、何といっても、故意にまちがった牌を持ちながら和っ…