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競馬の一日に就いて
けいばのいちにちについて
作品ID60935
著者菊池 寛
文字遣い新字新仮名
底本 「ひりひり賭け事アンソロジー わかっちゃいるけど、ギャンブル!」 ちくま文庫、筑摩書房
2017(平成29)年10月10日
入力者sogo
校正者友理
公開 / 更新2022-09-16 / 2022-08-29
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

午前中は慎しむこと

 朝から競馬場へ駈けつける。直ぐに穴場へ飛びこむ。馬券を握ってスタンドへ出る。スタートが切られて、ゴールになって、しかし自分の買った馬は不幸惨敗を喫してしまう。それから曳馬でも見てまた直ぐ穴場へ入って馬券を買って……。
 そんな具合に朝のうちから馬券に熱くなっている人を見ると、見ている方で却ってはらはらする。
 競馬の番組の仕組と云うものは、関東と関西とでは多少違うが、どっちにしても特殊レースとか大レースとか云った類いのものは、殆んど午後の競走にしているのが普通である。それを朝のうちから二度も三度も馬券に滑ったりすれば、相当に気持が腐って、愈々その日じゅうでの興味あるレースとか大レースとかの時には、まともな勝馬の鑑定力さえ失ってしまう。そうなると益々気持が腐る。時には焦立たしいような気持にさえなる。
 元来が競馬は楽しみに行くべきものだ。それが少しも楽しいものでなくなるなどは賞めた事ではない。
 損してもいい一定の金額などをきめて行ったにしても、午後の競走の八競馬あたりには、もう最後の二十円しかなくなってしまったなんて事になれば、気を入れてみたい所なのにそうも行かない、味気ない心にならざるを得ない。
 一度取られればその次こそはどうだろうと、またしても手の出したくなるのは人情だ。儲かれば儲かったで、こう云う日は大いに買うべしと云うので、番ごと番ごとに手を出したくなる。余程自制心を奮い起さないと心の平静は保ち難くなる。
 それと云うのが午前中から慎しみもなく馬券に狂奔するからである。勝馬鑑定に、心の動揺や喧騒や迷いは大いなる妨げとなる。
 そこでじっくり落着いて競馬を見て、いい穴の一つも取ろうと思えば、先ず午前中ぐらいは馬券は控え目に慎み深く、静かに構えているに越したことはない。そうすればその日の競馬場の空気にも馴れ、穴場の人気の形勢や、曳馬の気配などにもよく注意が行き届くようにもなる。
 心すべきは午前中の気持の構え方で、時にはこれ一つが午後まで祟って、周到な判断力を失い、怪しげな本命を買って損した次には、茲は固いと思っていた本命のレースに、いつともなく疑心暗鬼の不安を持ち始め、無理な穴を狙ってみたりするようなへまを繰返して、一人で憂鬱になったりもする。大事なのは午前中の気持の持ち方である。

大穴の出た後

 大穴の出た次のレースでは、固い本命が屡々好配当をつける。それは大穴の出たための昂奮が競馬場の一種の雰囲気に変化を与え、人々はじっと落着いて固い本命などを検討している気にはなれなくなるからである。
 こう云う時に諸君は一種の昂奮状態の競馬場内の空気に捲込まれてはならない。仮りに大穴が出たために諸君は馬券で損をしたにしても。
 この時の心の構え方に隙があると、人は競馬の勝馬というものが何か理窟はずれの、籤引みたいなもののような気がし…

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