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酒に死せる押川春浪
さけにしせるおしかわしゅんろう
作品ID61045
著者大町 桂月
文字遣い旧字旧仮名
底本 「明治文學全集 95 明治少年文學集」 筑摩書房
1970(昭和45)年2月20日
入力者sogo
校正者noriko saito
公開 / 更新2022-11-16 / 2022-10-26
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 草木も眠る眞夜中に、どん/\と雨戸を叩くものあり。起き出でて見れば、押川春浪と鷹野止水と也。迎へ入れて、對酌して曉に達す。止水去れり。春浪なほ留まりて、なほ對酌して、正午を過ぎたり。共に出でて宮崎來城を訪ひ、又飮む。夜半に至りて辭し去る。春浪、前に在り。余、後に在り。春浪ふと立ちとまり、五紋付のきびらの羽織を脱ぎ、之をやるとて、余に渡さんとす。余は要らぬとて、受取らず。さきに來城を訪はんとする途中、絽羽織のぐにや/\したるよりは、きびらのぴんとしたるが、見ても氣持よし。殊によく君に似合へりとて褒めしことありしが、思ふに春浪は今俄に其言を思ひ出したるなるべし。一旦言ひ出しては、後へは引かぬ氣象、僕も要らず、君も要らず、さらば兩人に無用なるものなり。打棄てんとて、桑畑の中に投ぐ。我れ拾ひ來りて渡さむとするに、受取らず。肩にかくれば、振り落して顧みもせず。君も要らず。僕も要らず。これでは愈棄つるが、承知かと云へば、言ふにや及ぶといふ。さらばとて、われ桑畑の中に投げたり。東大久保なる前田侯別莊の裏門のあたり也。一方は土手、一方は田、明月天に冲す。見渡す限り、人家なく、人籟全く絶えて、乾坤の間、唯蛙聲の閣々たるを聞く。昨夜來幾んど一晝夜も飮みつゞけたるに、余は疲れたり。されど、所謂梯子酒の春浪の事なれば、このまゝにては別れまじ。三十六計、にぐるに若かずと思へど、競走の妙を得たる春浪の事なれば、必ず追ひ付かれむ。よし/\狸寢入をして見むとて、土手にどつかと腰をおろし、春浪君、僕は眠くて一歩も歩かれず。こゝに寢て行く。これにて失敬と云へば、君を棄てゝは行かれずと云ふ。馬鹿なことを云ひ給ふな。路傍に醉臥することが僕の癖なることは、君も承知せる所ならずや。殊に錢は一文も持ち居らず。たつた單衣一枚にて幕天席地、何も心配することは無し。君はさつさと行き給へと云ひすてゝ仰臥す。草に置ける露、肌に浸む。春浪も腰をおろしけるが、暫くして余を呼ぶ。余答へず。余の手を引く、余なほ起きず。余の兩手を把つて路上に引きずる。余なほ狸寢入を續く。春浪終に閉口して立去れり。首を囘らせば、既に十年一昔となりぬ。當時春浪は三十になるやならずの血氣盛り、盛に飮みて、盛に氣焔を吐けり。春浪も余も共に博文館に机を竝べ居たりしが、余博文館を追はれて後は、久しく相見るの機を得ざりき。明治四十五年が大正元年と改まりてよりまだ二ヶ月とは經たぬ程の事也。われ箱根山上にたてこもりて著述に苦心しけるに、思ひがけずも、春浪に邂逅す。されど、當年の俤は何處へやら、病み衰へて、形容枯槁せり。夫人看護にとて、附添へり。一夕春浪君夫妻をボートに乘せて、余一人にて漕ぐ。肯かぬ氣の春浪、僕に一つの櫂を渡せといふ。止めよと云へども肯かず。一つの櫂を渡したるが、二三分にして止みぬ。月明かに、風清く、金波湖心に涌く。西に富士山、東に鞍掛山、…

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