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六甲山上の夏
ろっこうさんじょうのなつ
作品ID61120
著者九条 武子
文字遣い新字新仮名
底本 「ふるさと文学館 第三四巻 【兵庫】」 ぎょうせい
1994(平成6)年4月15日
初出「無憂華」実業之日本社、1927(昭和2)年
入力者かな とよみ
校正者noriko saito
公開 / 更新2022-10-20 / 2022-09-26
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 薄紫の可憐な松虫草は、大空の星が落した花のような塵にもまみれず、爽やかな夏の朝を、高原のそこここに咲いていた。美しい糸を包んだ薄は日に/\伸びてゆき、山上の荘は秋もまだ訪ずれぬのに、昼さえ澄んだ虫の声をきくのであった。
 海抜三千尺という山の上から望む茅渟の海は、遠く視野のはて、紀淡海峡を去来する汽船の煙が長く尾を引いて、行方も知れず空に消えてゆく。――山の上といっても、道がよく開けて散歩に楽なのと、日中でも七十三度ぐらいであるところからともすれば日傘も忘れて外に出る。けれど太陽はさすがに容赦なく射つづけるのに、それにも恐れずみんなは傘を忘れて散歩に出るほど涼しい六甲山上の夏――私は夏を迎えるたびに山上の夏をおもう。
 ゴルフリンクから遊びつかれた人たちが帰ってくる。大かた異国の人ばかりであった。ゴルフもこの頃は日本人の遊びの一つになったけれども、今から七八年も前のその頃は、ゴルフの楽しみも異国の人のほかは、ほんの一部の人の享有するところであったらしい。異国の人はあらゆる運動を生活の中に取入れて、明るい、豊かな生活を創造しようとする。残念であるけれども日本の人、ことに老いた婦人たちは、運動などは子供の世界のことのように思って、歩くことさえも大儀がる。
 私は兄達や異国の人に伍して、毎日のように山道を散策していたが、日本の婦人にはほとんど合わなかった。はるか麓の方に阪神電車の走るのが見えて、ここは兵庫県の六甲山であることは慥かに知っている。しかし異国の人ばかり行き合うことが、何だかよその国にでも遊んでいるような感じがするのであった。

 山の頂に見る入日の姿、それは夏の夕べのなつかしい眺めの一つである。私は考えるともなく、こんな歌を書きつけた。

落日は巨人の魂かわが魂か炎のごとく血汐の如し

 熱しきった太陽は爛々と燃え、最後の残照を西の空一面に放ったまま、落人のごとく夜の世界の彼方へ沈んでゆく。落ち着いた夜の沈黙が、六甲山脈の波濤に迫るとき、生きとし生けるものすべては、始めて静けさの中に蘇えるのであった。
 ――私は夜の静けさの裡に蘇える無心の草木にも、敬虔な合掌の心持ちを覚える。青白い月光の流れが山荘の窓にしのび入る。冷やかな夜気を衿元に感じて月のみの庭に佇めば、丁度水の底にでも沈んでいるような感じがするのであった。

よき月夜すあしのつまのほの青う露にぬれたり芝生に立てば

 家から家に遠いこの山の上は、しっとりと露ばんだ灌木の茂みを通して、はるか向うに走る電車の灯を望むのも、何か涙ぐましい心地がする。遠く見下ろされる町々の灯、そこに欺き合い、背き合いつつ生活している恩讐の世界があろうとは、どうしても思われないのである。私は山上の静かな生活のなかに、浄化されてゆくような心持ちを、地上の生活にもたもちつづけたいと思った。

 夏が終って、私は山を下りた…

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