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迎合せざる人
げいごうせざるひと
作品ID61126
副題尾崎士郎の文学
おざきしろうのぶんがく
著者坂口 安吾
文字遣い新字新仮名
底本 「坂口安吾全集16」 ちくま文庫、筑摩書房
1991(平成3)年7月24日
入力者持田和踏
校正者ばっちゃん
公開 / 更新2024-02-19 / 2024-02-12
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 日支事変以後、言論の圧迫が加わって、多くの作家が処世的に迎合し便乗的作品を書きはじめた時に、尾崎士郎はむしろ迎合しない側の作家であった。
 その彼が、太平洋戦争以後に、軍国主義文学の親玉の観を呈したに就ては、次のような理由があった。
 一九四一年十月ごろ青年作家何十名かに徴用令のあったとき、その中に加わった数名の知人を私は慰め見送ったが、その中で誰よりも打ちひしがれ、顔色すら蒼ざめて戦争を呪っていたのは尾崎士郎であった。
 その彼がフィリッピンへ従軍して帰還すると、日本文壇の王者の位置が彼を待っていたのであるから、人の運命はわからない。
 彼は従軍した作家のうちで、一人だけとりわけ年長であり、文壇的地位も他をぬいていた。したがって、その地位について、彼の持前の正直で純粋な性質が、人々に高く評価せられたのである。
 いったいに軍人は迎合人種を軽んずるから、節操あり、イヤなことをイヤだと言い、不服不満を正直に表明する尾崎士郎が、却って軍人たちに高く評価され、又、一般にも敬愛をうける結果となったのである。
 尾崎士郎は英雄を崇拝する。又、彼はその生来、恋愛のできない男で、恋愛を人生の主たるものとはしないから、その文学が色情について恬淡である。この尾崎文学の趣味するところが軍人の趣味にあい、軍人の指導する当時の趣味に合った。
 然し、この趣味は彼の文学の表面的なことで、彼の思想に軍国趣味は毛頭なく、又、彼の文学が軍国主義者に担がれたのも、軍人のもつ表面的な気質と趣味、そのセンチメンタリズムと、反女性的な態度とによったものであった。
 尾崎士郎の英雄崇拝というものは、その侵略的雄図などとは凡そ関係のないもので、むしろ逆に、英雄のもつ悲劇性、更にむしろその没落性によせる極めてリリカルなる感傷的同感であって、石田三成、ジンギスカン、西郷南洲、すべてその没落の悲愴美へよせる詩情と、その詩情をもって人生の切なさの究極と見る彼の素朴な思想の表れにすぎない。
 英雄を主題とした彼のどの作品にも、侵略雄図の謳歌などは更に無く、ただ悲愴美へよせるリリスムへの惑溺のみで、ジンギスカンの如き大侵略家をとらえてすら、彼の関心はもっぱら蒙古の風土によせる感傷であり、没落と死滅のコーダへ急ぐ宿命人の悲愴美を感性的に表明しようとするリリスムだけしか持ち合せない。
 戦い敗れた石田三成を山河の自然や流れる雲に托し、驚くべし三百枚すべて自然描写によって英雄を描くという、彼の無思想性と、徒らな悲愴美への惑溺、風景へよせる詩情の過剰、時には馬鹿らしいものがある。然し、そこに、軍国主義者や、軍国時代の読書家に愛好された理由があった。
 日本の軍人たちの文学的教養は低俗で、たかだか漢詩を吟ずるぐらいの風懐しか持たない上に、恋愛を人生に有害無用のものと見ているから、尾崎士郎の文学が、その心情をもっぱら自然の…

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