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或る選挙風景
あるせんきょふうけい
作品ID61136
著者坂口 安吾
文字遣い新字新仮名
底本 「坂口安吾全集16」 ちくま文庫、筑摩書房
1991(平成3)年7月24日
初出「新潮 第四八巻第七号」1951(昭和26)年6月1日
入力者持田和踏
校正者ばっちゃん
公開 / 更新2024-10-20 / 2024-10-20
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 競輪場はうるさいものだ。あと五分で投票を〆切ります、投票を〆切ります。拡声器の間断ない絶叫の合間にベルが脳天をドリルで突きさすように鳴りつづける。人間が殺気立つのは仕方がないような、気違いじみた騒音であるが、今度の選挙はそれよりもひどかった。東京も大変だったそうだが、私は上京しなかったから知らない。関西へは旅行したが、朝七時前、京都大阪間のまだ人の通行のほとんど見られない路上でもう候補者が無人の空間に向ってメガホンで叫んでいるのが車窓から見られた。全然選挙の気配を見なかったのは、花の吉野山だけだった。ウネビで自動車にのり、「山の辺の道」を走る。大国主命の王国の地かね。彼を祀る総本山を三輪山というが、その山に沿うて西麓を北上する旧道を「山の辺の道」という。歴史以前から今に残る日本最古の道だという。ハッキリ根拠があるのかどうか知らないが、物はタメシに通ってみた。その道でも選挙の自動車にすれちがったね。しかし、総じて、私の通過した地は古代帝都の地とはいえ今は寂れた田園であるから、選挙の気配はかすかであった。昔は絶え間なく勢力争いに父子兄弟血に血を争った土地であるが、彼らは古墳にねむり、発掘した廃寺の礎石や古墳の前で選挙演説をぶッてるキチガイはいなかった。
 私の住む温泉市の騒ぎには驚いたね。県会議員の候補者が二人で争ってるだけなのだが、二人ともにトラックに拡声器をつけて、絶叫しつつ走りまわる。せまい市のことだから、どちらかの声が必ずきこえている。自動車のほかに歩いて廻るオッサン部隊、オバサン部隊、娘部隊、アンチャン部隊がある。しかし十人かたまってもメガホンなどというものは無にちかい。それほど拡声器はすさまじい。鉄砲と原子バクダンぐらいの違いだね。この新兵器の出現が今度の選挙の兵器革命というものだ。この新兵器で演説するのかと思うと、そうではなくて、演説は小さな劇場で百人ぐらい相手にやる。拡声器の方はもっぱら、私は△△であります、なにとぞ△△に御投票下さい、御投票下さい。競輪と同じ筈だね。あの女アナウンサーを雇ったらしいな。自由党の候補の方は、炭坑節かなんか自分の選挙節をつくって唄っていたね。また彼は猫八や木下華声のような物マネ、虫の泣き声などをやっていたね。彼自身ではないらしい。彼自身はトラックの最後尾に後方正面に向って椅子に腰かけて威儀を正しているのである。私は△△であります。そう拡声器で叫んでいるのは彼ではなくてアンチャンだ。彼は六十何歳かの近藤勇のような顔をして眉毛一ツ動かさない。フランスの近代劇にこういうのがあるよ。マルセル・アシャールの「ワタクシと遊んでくれませんか」というのさ。カミシモをつけた親方が(フランスにもカミシモありと思いなさい)舞台の中央正面に五幕の間一言も喋らず毛筋一ツ動かさずに端坐しているね。最後にたった一言喋って幕さ。六十何歳かの近藤勇…

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