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「屍の街」序
「しかばねのまち」じょ
作品ID61154
著者大田 洋子
文字遣い旧字新仮名
底本 「屍の街」 冬芽書房
1950(昭和25)年5月30日
入力者かな とよみ
校正者竹井真
公開 / 更新2022-11-20 / 2022-10-26
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は一九四五年の八月から十一月にかけて、生と死の紙一重のあいだにおり、いつ死の方に引き摺つて行かれるかわからぬ瞬間を生きて、「屍の街」を書いた。
 日本の無條件降伏によつて戰爭が終結した八月十五日以後、二十日すぎから突如として、八月六日の當時生き殘つた人々の上に、原子爆彈症という恐愕にみちた病的現象が現れはじめ、人々は累々と死んで行つた。
 私は「屍の街」を書くことを急いだ。人々のあとから私も死ななければならないとすれば、書くことも急がなくてはならなかつた。
 當日、持物の一切を廣島の大火災の中に失つた私は、田舍へはいつてからも、ペンや原稿用紙はおろか、一枚の紙も一本の鉛筆も持つていなかつた。當時はそれらのものを賣る一軒の店もなかつた。寄寓先の家や、村の知人に障子からはがした、茶色に煤けた障子紙や、ちり紙や、二三本の鉛筆などをもらい、背後に死の影を負つたまま、書いておくことの責任を果してから、死にたいと思つた。
 その場合私は「屍の街」を小説的作品として構成する時間を持たなかつた。その日の廣島市街の現實を、肉體と精神をもつてじかに體驗した多くの人々に、話をきいたり、種々なことを調べたりした上、上手な小説的構成の下に、一目瞭然と巧妙に描きあげるという風な、そのような時間も氣持の餘裕もなかつた。
 私の書き易い形態と體力とをもつて、死ぬまでには書き終らなくてはならないと、ひたすら私はそれをいそいだ。
 いま改めて出版するにあたつて、熟讀して見ると、私の體驗は、一九四五年八月六日に廣島全市に展開された、異常な悲慘事の現實の規模の大きさと深刻さに比べ、狹少で淺いことを、今更つよく感じないではいられない。
 私の筆は全市にくりひろげられてはいないのである。自分の住んでいた母の家からのがれ出して、三日間を野宿した河原と、田舍へ逃げて行く道中の情景とのきわめて部分的な體驗しか書いていない。
 私は讀者に、私の見た河原と道筋の情景よりももつと陰慘苛酷な災害が、全市街を埋めつくしたことを知つてもらいたい。
 讀者は私の書き方をもの足りなく思われるであろう。私自身五年經つたこんにち、讀み返して見て意に滿たぬ多くのもどかしさを感じている。そして私の書き得なかつた廣島の、當時の樣相を眼底に思い浮べ、私の魂自體が焔の中で煮詰まるほどの、肉體的な、精神的な苦痛を覺えるほかはない。

 私はこの五年間、「屍の街」を客觀的に整理し、健全な心身をとり返した上で、一つの文學作品に書くことのみを考えて暮した。
 しかし、なんと廣島の、原子爆彈投下に依る死の街こそは、小説に書きにくい素材であろう。それを書くために必要な、新しい描寫や表現法は、容易に一人の既成作家の中に見つからない。私は地獄というものを見たこともないし、佛教のいうそれを認めない。人々は誇張の言葉を見失つて、しきりに地獄といつたし地…

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