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いまだ癒えぬ傷あと
いまだいえぬきずあと
作品ID61155
副題――放射線火傷で右手をうしなつた木挽きの妻と河原にうつ伏せて死んでいた幼女に――
――ほうしゃせんやけどでみぎてをうしなったこびきのつまとかわらにうつぶせてしんでいたようじょに――
著者大田 洋子
文字遣い旧字新仮名
底本 「屍の街」 冬芽書房
1950(昭和25)年5月30日
入力者かな とよみ
校正者竹井真
公開 / 更新2022-12-10 / 2022-11-26
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

放射線火傷で右手をうしなつた木挽きの妻に

 あなたはその後どうしていますか。あなたと私は、あの高原の山里で、いわば行きずりの旅の者同志にすぎなかつた筈ですのに、あれから四年經ついまも、私は折りにふれてはあなたのことをたびたび思いだしています。
 あの女のひとはどうしているだろうと、名前も知らないあなたのことを思い出すたびに、私の眼の前に浮彫になつてはつきり現れる、一本の女の右腕があるのです。それはあなたの腕です。
 あなたを想い浮べるというよりも、私はあなたの魔術のようなふしぎな腕のことを思つているのかも知れません。あなたの腕のためにあなたを想い出す。このようなことは互いの不幸ですけれど、これに似たたくさんの錯覺が私のうちにうずまいてるようにおもわれます。ゆるしてください。
 一つ一つの現象の苦しい思い出が八方から寄つてきて集中され、原子爆彈という一つのものに結びつく結果になつてしまうのです。
 八月六日から三日間、死の市の河原で野宿してから、死體と、まだ燃えている焔のなかをぬけて、私はあなたと會つた村に逃げのびました。
 冬のきびしい山上のあの村はなんて空氣の澄みきつたところだつたでしよう。よく磨いたつめたい硝子のような空氣でした。あなたと私は白い道端の小川のほとりにしやがんで話をしました。小川の流れは水晶みたいでしたし、ハエという小魚がちらちらと流れを行つたり來たりしていました。鮮麗な色の鬼あざみが小川のふちに涯もなく咲いていました。そんなに清澄な風景のなかで、私たちはどんなに不仕合せな話をしなければならなかつたでしようか。
 あなたは簡單服から出ている右手を、左手でなでながら私に見せました。腕全體、ほとんど肩の近くから指さきまで、火傷のひきつれでぴかぴか光つていました。うす桃色と茶褐色の引き釣れが、よじけて曲りくねり、蟹の脚のように腕の全部を這つていたのです。
 そのうえあなたの腕は内側に向つてひどく曲り込んでいました。原子爆彈という未知の物質が、どんな風に、どれだけ人間のからだを壞すものか、またその負傷者たちにどんな治療をしてよいのか、醫者の連中にもまつたくわからなかつたので、あわてた醫者があなたの腕を前にまげて、肩へ釣らせたのでした。
 あなたの右腕は曲つたまま、一應火傷はなおつたのですけれど、あなたには二人の子供があり、姙娠していました。
「この腕はどうしても、のび縮みができるようにしてもらわなくては、子供を育てなくちやなりませんから」
 あなたは希望をもつているように、あかるい眼をしていました。
「整形外科へいらつしやるのはもつと先きになるんですか」
「何度も行つておねがいしたんですけど、私の順番は半年ものちなんですのよ。それだけたくさんいます」
 廣島の赤十字病院にどれだけ大勢の重傷者が收容されているかが、あなたの言葉でもほうふつとしました…

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