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花田清輝論
はなだきよてるろん
作品ID61161
著者坂口 安吾
文字遣い新字新仮名
底本 「日本文化私観 坂口安吾エッセイ選」 講談社文芸文庫、講談社
1996(平成8)年1月10日
初出「新小説」1947(昭和22)年1月1日
入力者持田和踏
校正者noriko saito
公開 / 更新2022-09-23 / 2022-08-27
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 花田清輝の名は読者は知らないに相違ない。なぜなら、新人発掘が商売の編輯者諸君の大部分が知らなかったからである。知らないのは無理がないので、花田清輝が物を書いていた頃は彼等はみんな戦争に行っていたのだから。
 私は雑誌はめったに読まない性分だから、新人などに就て何も知らず差出口のできないのが当然なのだが、戦争中「現代文学」という同人雑誌に加わっていたので、平野謙、佐々木基一、荒正人、本多秋五などという評論家を知っていた。みんな同人だったからだ。さもなければこれら新鋭評論家に就て、その仕事に就て、概ね無智の筈であった。福田恆存などという傑れた評論家に就ても一ヶ月前までは名前すら知らなかった。たまたま、某雑誌の編輯者が彼の原稿を持ってきて、僕にこの原稿の反駁を書けという。読んでみると僕を無茶苦茶にヤッツケている文章なのだ。けれども、腹が立たなかった。論者の生き方に筋が通っているのだから。それに僕は人にヤッツケられて腹を立てることは少い。編輯者諸君は僕が怒りんぼで、ヤッツケられると大憤慨、何を書くか知れないと考えているようだけれども、大間違いです。僕自身は尊敬し、愛する人のみしかヤッツケない。僕が今までヤッツケた大部分は小林秀雄に就てです。僕は小林を尊敬している。尊敬するとは、争うことです。
 花田清輝は「現代文学」の同人ではないが、時々書いていた。何れも立派な仕事であった。
 小説家には太宰治という才人があるが、いわば花田清輝は評論家のそういうタイプで、ダンディで才人だ。小説だと、まだ読者には分るけれども、評論となると却々分らないもので、たとえばポオの「ユウレカ」が日本に現れても、読者の大部分は相手にしないに相違ない。花田清輝はそういう評論家です。
 今度我観社というところから「復興期の精神」という本をだした。マジメで意気で、類の少い名著なのだが、僕は然し、読者の多くは、ここに花田清輝のファンタジイを見るのみで、彼の傑れた生き方を見落してしまうのではないかと怖れる。彼の思想が、その誠実な生き方に裏書きされていることを読み落すのではないかと想像する。この著作には「ユウレカ」と同じく見落され、片隅でしか生息し得ない傑作の孤独性を持っている。だから、花田清輝の真価を見たいと思ったら、もっと俗悪な仕事をさせてみることだ。つまり、文芸時評とか、谷崎潤一郎論だとか、そういう愚にもつかない仕事をやらせてみると分る。
 彼は戦争中、右翼の暴力団に襲撃されてノビたことがあった筈だ。
 戦争中、影山某、三浦某と云って、根は暴力団の親分だが、自分で小説を書き始めて、作家の言論に暴力を以て圧迫を加えた。文学者の戦犯とは、この連中以外には有り得ない。
 花田清輝はこの連中の作品に遠慮なく批評を加えて、襲撃されて、ノビたのである。このノビた記録を「現代文学」へ書いたものは抱腹絶倒の名文章で…

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