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平凡人の手紙
へいぼんじんのてがみ |
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作品ID | 61237 |
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著者 | 有島 武郎 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「有島武郎全集第三卷」 筑摩書房 1980(昭和55)年6月30日 |
初出 | 「新潮 第二十七卷第一號」1917(大正6)年7月1日 |
入力者 | 木村杏実 |
校正者 | きりんの手紙 |
公開 / 更新 | 2023-06-09 / 2023-06-05 |
長さの目安 | 約 25 ページ(500字/頁で計算) |
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もう一年になつた。早いもんだ。然し待つてくれ給へ。僕はこゝまで何の氣なしに書いて來たが、早いもんだとばかりは簡單に云ひ切る事も出來ないやうな氣がする。僕が僕なりにして來た苦心はこの間の時間を長く思はせもする。まあ然し早いもんだと云つておかう。早いもんだ。妻が死んだ時電報を打つたら君はすぐ駈けつけてくれたが、その時僕がどんな顏で君を迎へたかは一寸想像がつかない。僕は多分存外平氣な顏をしてゐた事と思ふがどうだ。その時の君の顏は今でもはつきり心に浮べて見る事が出來る。この男が不幸な眼に遇ふ――へえ、そんな事があるのかな、何かの間違ひぢやないのか。そんな顏を君はしてゐた。
僕は實際その後でも愛する妻を失つた夫らしい顏はしなかつたやうだ。この頃は大分肥つても來たし、平氣で諸興行の見物にも出懸けるし、夜もよく眠るし、妻の墓には段々足が遠のくし、相變らず大した奮發もしないで妻がゐる時とさして變らない生活をしてゐる。ある友達は僕が野心がなさ過ぎるから皆んなで寄つてたかつて、侮辱でもして激勵しなければ駄目だと云つたさうだ。まあその位に無事泰平でゐる。君が僕の容子を見たら一つ後妻でも見附けてやらうかと思ふ程だらう。夫れ程物欲しげな顏をしてゐる時もある。怒つてくれるなよ。決して僕が不人情だからではない、是れが僕の性質なんだ。僕の幸運が僕をさうしたのだ。
實際僕ほど運命に寵愛された男は珍らしいと云つていゝだらう。小さい頃神社や佛閣に參詣した時、僕を連れて行つてくれた人達が引いてくれたお神[#挿絵]には何時でも大吉と書かれてゐた。五黄の寅と云ふのは強い運星だと誰れでも云つた。實際その通りだつた。少年時代に僕の持つた只一つの不幸は非常に羸弱な體質と、それに原因する神經過敏だつたが、夫れも青春期からは見事に調節されて兵隊にさへ取られる程の頑健さになつた。
君はそこまで氣が附いてゐるか如何か知らないが、幸福の中でも最も幸福な事は、君も知つてる通りの僕の平凡がさせる業だ。生立ちが平凡であつたばかりではない、行爲事業が平凡であつたばかりではない、對社界的關係が平凡であつたばかりではない、僕の人物が都合よく平凡である事だ。僕の人物は感心によく平均されて出來てゐる。智能も感能も誠によく揃つて出來てゐる。容貌も體格も實によく釣合つて出來てゐる。而してその凡てが十人並に。そこで僕は幼年時代にはさるやむごとなきお方のお學友と云ふものに選ばれた。中學校を卒業してある田舍の學校に行く時、僕等の畏敬した友人は、僕に「送○○君序」を書いて「君資性温厚篤實」とやつた。大學では友人が僕に話しかける時は大抵改つた敬語をつかつた、――○○君はあまり圓滿だから同輩のやうな氣がしないと云つて。教會に出入する頃は日曜學校の教師にされた。教員をすると校長附主事と云ふ三太夫の役を仰附かつた。家庭では時たま父に反抗したが、…