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片男波
かたおなみ
作品ID61285
著者小栗 風葉
文字遣い新字新仮名
底本 「天変動く 大震災と作家たち」 インパクト出版会
2011(平成23)年9月11日
初出「文藝倶樂部 第二巻第九編臨時増刊 海嘯義捐小説」博文館、1896(明治29)年7月25日
入力者持田和踏
校正者noriko saito
公開 / 更新2023-02-03 / 2023-01-28
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 降続きたる卯の花くだしようようはれて、かき曇りたる天もところどころ雲の切間を、朧なる五日の月は西へ西へと急ぐなり。千載茲許に寄せては返す女浪男浪は、例の如く渚を這上る浪頭の彼方に、唯形ばかりなる一軒立の苫屋あり。暮方より同じ漁師仲間の誰彼寄り集いて、端午の祝酒に酔うて唄う者、踊る者、跂る者、根太も踏抜かんばかりなる騒ぎに紛れて、密[#ルビの「そつ」はママ]と汀に抜出でたる若き男女あり。
「何か用なの? え、仙太様。」
 と女は美かなる声の優しくまず問懸けたり。されど仙太は応答もなさで、首をたれたるまま、時々思い出したらんように苫屋の方を振返りつつ、的もなく真砂の間をざくざくと踏行きぬ。
「このまあ真黯なのにどこへ行こうての? え、仙太様、仙太様。」
 重ねて女は声懸けけるが、応答はおろか、見も返らざるに思絶ちけん、そのまま口を噤みて、男の後ろに従いぬ。
 月はいよいよ西に傾きて、遥かの沖の方には、綿の如く、襤褸の如き怪しげなる雲のしきりに動くを見たり。
 二人は岬を廻りて、苫屋の火影も今は見えずなりける時、つと立停まりて、
「お照様。」
 と始めて口を開きたる仙太の声は、怪しとも戦きたり。
「お前は何も知るまいが、俺は毎日ここへ来て立っているぜ。真の事だ、毎日来て立っている!」
「何故さ。」
 とお照は訝しげに問返しぬ。
「何故って、ここはお前……お前が何時か腓を返して沈懸った時に、俺がその柔かい真白な体を引抱いて助揚げたとこだ。その時お前が一生この恩は忘れないって、片息になって、しっかり俺の頸へしがみついたあの時から、俺は、俺はお前を……。」
 と言さして、しばし辞は途切れしが、
「真によ、女てえものはどこまで気強いか知れねえものだ!」
 と仙太は投出すように言いはなてり。聞くとひとしくお照は思わず後退りて、朧なる月影にじっと男の顔を透見つつ。
「仙太様!」
 とばかりひたと寄添いしが、にわかに心着きて、我が家の方を振返りつ、
「だって、私は源様という歴とした亭主があるんだもの、よしんばどうしようたってしょうがないじゃないか。」
「ないかあるかそんな事は俺の知った事じゃねえ。俺は唯お前を思って思って、俺の思がお前に届くまで思凝めようと思って、思凝に思凝めているのだけれど、それがお前に届かねえとこを見りゃ、まだ俺の思いようが足りねえのかも知れねえ。お前が源様を思うその倍も、俺がお前を思ったら、なんぼ亭主持だって、ちっとは俺の切ない思も酌んでくれそうなものだけれど、それがないとこを見ると、俺のお前を思うよりか、お前が源様を思う方が深いと見える。」
 と辞半にそっと睚を推拭えり。
「だが、俺はもうこの上お前を思いようはない。真によ、俺はお前の事を思凝に思凝めて、気が狂いそうだ! 命も奪られそうだ! いっそ一思に死んでのけたら、この苦しいのが失なるだろうと思って…

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