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一夜のうれい
いちやのうれい
作品ID61299
著者田山 花袋
文字遣い新字新仮名
底本 「天変動く 大震災と作家たち」 インパクト出版会
2011(平成23)年9月11日
初出「文藝倶樂部 第二巻第九編臨時増刊 海嘯義捐小説」博文館、1896(明治29)年7月25日
入力者持田和踏
校正者noriko saito
公開 / 更新2023-05-13 / 2023-05-08
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 夜は早十時を過ぎたり。されど浮立たざる心には、臥床を伸べんことさえ、いとものうし。まして我は寝ねてだに、うれしき夢見るべき目あてもあらぬ墓なき身なれば、むしろ眠らずして、この儘一夜を闇黒の中に過すべきか、むしろこの一夜の永久なる闇黒界にならんことを、慈悲ある神に祈るべきか。かく悲しく思いつづけつつ、われはなお茫然としておりたれど、一点の光だにわれを慰むるものもあらぬに、詮方なくてやがていねたり。
 枕に着くれば、如何なる熱情も静まるものとかねて聞きしが、われのはそれと反対にて、空想は枝に枝を生じ、またその上に枝を生じて、果てしなく狂い出ししこそ墓なけれ。何故に、われはかく迄この世の中おもしろからぬか。何故に、かく迄このわが身の楽しからぬか。死、死という事などは、わが身に取りては、何のわけもなきことなり。
 つらつら観ずれば、人の命なるもの、尊[#ルビの「たつと」はママ]しと思えば、尊ときに相違なけれど、尊からずと見る時は、何のまた些少の尊さのあるべき。かつそれ、稀には百歳の寿を保つものありといえども、生れて直ちに死する人もあり、或は長生するやも料られざれども、また今直ちに何事か起り来るありて、俄かに死するやも料られざるにはあらずや。否、それのみにはあらじ、地震起り海嘯来るときは、賢愚貴賤何の用捨もなく、何の差別もなく、一度に生命を取らるることもあるにあらずや。
 然るを、わが身のみ、如何でかこれに異ることのあるべき。たとえ今日は自殺せざるとも、明日如何なる災ありて、死することなしとも限らず、これを思えば、今直ちに死するとも、また少しの遺憾もなしかつまた自から殺すは、卑怯なりという人もあれど、死せんと欲する心の出でて、これを断行し得たる以上は、たとえ自から刀を手にしたりとも、これ果して我の業か、天為なるか知るべからず。さば道理の上に於ては、今直ちに自殺するとも、まことに何の遺憾もなきが如し。されどもし仮に匕首を喉に擬するとするに、何故か知らねど、少しく躊躇して、断行すること能わざる一点の理由の存するが如きを覚ゆ。
 あわれこは何故か、われは自からも覚ること能わざれども、こはいまだ確かにその程までの極点に達せざるが故なるべし。否、或はわが身の勇気に乏しきが故にはあらざるか。われとて強いて死を願うにはあらざれども、この面白からぬ世にありながら、我はこれを断行する能わざるを思えば、われながらあまりに意気地なきことなり。
 ああまたしても心に浮び出ずるか、かのなつかしき梅子の君よ、君とだに伴いてあらんには、世は楽しくかつうれしきものなるを、入谷の里に朝顔を見に行きたる朝、如何にうれしく楽しかりしか。両国の川開きに打ち連れ立ちて行きにし夕、如何に楽しくなつかしく思いたりしか。月夜に琴を弾くことを、この上なく好むという君の言葉を聴きし時のこと、わが遠き旅路にいで立つこと…

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