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厄払い
やくばらい
作品ID61300
著者徳田 秋声
文字遣い新字新仮名
底本 「天変動く 大震災と作家たち」 インパクト出版会
2011(平成23)年9月11日
初出「文藝倶樂部 第二巻第九編臨時増刊 海嘯義捐小説」博文館、1896(明治29)年7月25日
入力者持田和踏
校正者noriko saito
公開 / 更新2023-11-18 / 2023-11-06
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 正兵衛といえるはこの村にて豪家の一人に数えらるる程の農民なるが、今しも三陸海嘯の義捐金を集めんとて村役場の助役は来りつつ、刀豆を植えたる畑の中に正兵衛を見つけて立ちながら話す。

 それでは東北に大海嘯があったため三万の人が亡くなったというのだね、まあまあ近辺でなくて僥倖だった、何百里とあるのだから、とんとさしさわりがなくて安心というものだ。

と余念なく豆の葉の虫を除ている。助役は惘れ顔にて、

 それですから義捐金を集めて、遺族を劬わろうというので、多少に係わらず戴きたいものです、新聞でも御存知の通り、惨状は目もあてられぬ次第ですから、惣兵衛、甚造、太郎作、次郎兵衛など、その日その日をようよう細い烟に暮らす小作人まで、それ相応に涙を揮うて財布の底払いをする訳ですから、貴下なぞはうんと御奮発を願いたい。
 俺ん許ではお寺の建立があろうが、学校の修繕があろうが、堤防の修築があろうが、先祖代々から一文半厘も出した先例がないので、村のことでさえそういうわけだから、たかが東北の果に災害があったって、いちいち銭を出す訳にはゆかない。

 助役は眼顆を円くして、

 たとい地面は千万里隔っていても、同じ日本国の同胞が、親も兄弟も亡くして路頭に迷い、子も孫もなくしてうろうろしたり、可愛い妻に別れ夫に死なれ、家も蔵も田地も金銀もなくして、生命一つを繋ぎ兼ねるものがごろごろ幾何あるか知れない、悪いことをした罰では決してない、天災というものは、例えば貴下のような正直漢でも用捨なく引さらうのだから、救って遣らなければ何うすることも出来ない、救わないのは人情を知らないというものでしょう。
 いやいやそうも言われぬ、去年洋行帰りの大学者が演説には、西洋では勲功のあったものが難儀をすれば義捐をする、難儀をしなくとも、勲功さえあれば相応の敬礼とか褒美とかを遣るといったが、天災で難儀するものを救っていた日には、仕方がないだろう、こちらの利益にもならぬものに、難儀をなさるだろうといっていちいち挨拶をしていたら際涯がないだろう、それよりか、俺は俺の田地の減らぬようせっかく倹約をする方が、相方厄介なしで心安いというものだ。
 では貴下方に海嘯があって田も畑も一切流されて、生命だけ助かったと思召せ、誰か救ってくれれば好いとは思いませんか。
 そんなことはないはずだ、こんなに倹約をして溜めた金を流されて堪るものか、また大切な金を流して活きていて堪るものか、俺は寝る時でも倉の鍵はちゃんと枕元に置いて寝るし、一晩に二三度は倉から家の周囲を夜廻りする位だから、おめおめ金を流して助かる様な馬鹿は見ない、要心が宜しくないから、人様に迷惑をかけるので、俺のように心掛が宜かったら、地震があろうが、海嘯があろうが、生命より大事の金を流すようなことは毛頭ないはずだ。
 でもそういう余裕があれば誰も好んで、自分の親…

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