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現代語訳 徒然草
げんだいごやく つれづれぐさ
作品ID61411
著者兼好法師
翻訳者佐藤 春夫
文字遣い新字新仮名
底本 「現代語訳 徒然草」 河出文庫、河出書房新社
2004(平成16)年4月20日
初出「現代語譯國文學全集 第十九卷 徒然草・方丈記」非凡閣、1937(昭和12)年4月5日
入力者砂場清隆
校正者木下聡
公開 / 更新2025-04-09 / 2025-04-10
長さの目安約 171 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 鬱屈のあまり一日じゅう硯にむかって、心のなかを浮かび過ぎるとりとめもない考えをあれこれと書きつけてみたが、変に気違いじみたものである。




 何はさて、この世に生まれ出たからには、望ましいこともたくさんあるものである。
 帝の御位はこのうえなく畏れ多い。皇室の一族の方々は末のほうのお方でさえ、人間の種族ではあらせられないのだから尊い。第一の官位を得ている人のおんありさまは申すにおよばない。普通の人でも、舎人(貴人に仕える下級の官人)を従者に賜わるほどの身分になると、たいしたものである。その子や孫ぐらいまでは、落ちぶれてしまっていても活気のあるものである。それ以下の身分になると、分相応に、時運にめぐまれて得意げなのも、当人だけはえらいつもりでいもしようが、つまらぬものである。
 法師ほど、うらやましくないものはあるまい。「他人には木の端か何かのように思われる」と清少納言の書いているのも、まことにもっともなことである。世間の評判が高ければ高いほど、えらいもののようには思えなくなる。高僧増賀が言ったように、名誉のわずらわしさに仏の御教えにもかなわぬような気がする。しんからの世捨人ならば、それはそれで、かくもありたいと思うような人がありもしよう。
 人は容貌や風采のすぐれたのにだけは、なりたいものである。口をきいたところも聞き苦しからず、愛敬があって、おしゃべりでない相手ならばいつでも対座していたい。りっぱな様子の人が、話をしてみると気のきかない性根があらわれるなどは無念なものである。
 身分や風采などは生まれつきのものではあろう。心ならば賢いのを一段と賢くならせることもできないではあるまい。風采や性質のよい人でも、才気がないというのは、品位も落ち、風采のいやな人にさえ無視されるようでは生きがいもない。
 得ておきたいのは真の学問、文学や音楽の技倆。また古い典礼に明るく、朝廷の儀式や作法について人の手本になれるようならば、たいしたりっぱなものであろう。筆跡なども見苦しからず、すらすらと文を書き、声おもしろく歌の拍子を取ることもでき、ことわりたいような様子をしながらも酒も飲めるというようなのが、男としてはいい。




 昔の聖代の政治を念とせず、民の困苦も国の疲労をもかえりみず、すべてに豪華をつくして得意げに、あたりを狭しとふるまっているのを見ると、腹立たしく無思慮なと感ぜられるものである。
「衣冠から馬、車にいたるまでみな、あり合わせのものを用いたがいい、華美を求めてはならない」とは、藤原師輔公の遺誡にもある。順徳院(順徳天皇。在位一二一〇〜二一)が宮中のことをお書きあそばされた禁秘抄にも「臣下から献上される品は、そまつなのをよいとしなくてはならぬ」とある。




 万事に傑出していても、恋愛の趣を解しない男は物足りない。玉で作られた杯に底がな…

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