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幻灯係
げんとうがかり
作品ID61448
著者中谷 宇吉郎
文字遣い旧字新仮名
底本 「百日物語」 文藝春秋新社
1956(昭和31)年5月20日
入力者砂場清隆
校正者木下聡
公開 / 更新2026-01-28 / 2026-01-27
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 日本のある大學の若い教授P君が、アメリカの某所へ、研究員として暫く來ていた。そこの主任教授は、そう世界的な大學者というほどでもなかったが、何分こっちは餘所者なので、神妙に控えて、勉強していたそうである。
 しかし、何分、P君は既に、日本では大學教授として、たくさんの助手たちをもっていたのに、アメリカに來ると、何から何まで自分でしなければならない。それに言葉も不自由なので、何となく冷遇されているような氣がして、居心地はそう良くなかった。
 ある時、そこで研究發表會があった。そして、その主任教授が講演をして、そのあとこのP君も、自分の日本でやっていた研究を發表することになった。
 アメリカのこの種の講演は、たいてい幻燈を使うので、この主任教授もたくさん幻燈を用意していた。そしていよいよ講演という時になったら、幻燈板を一とまとめにしてP君に渡し、これをこの順序で映寫してくれといったそうである。
 幻燈係などというものは、日本では、助手の一番若い男か、給仕ぐらいがやるものと思い込んでいたP君は、少しムッとしたそうである。普段から何となく「日本の大學教授」を無視しているらしい、という下地があったので、無理もないことである。
 しかし、ここが我慢のしどころと、胸をさすって、この「屈辱的」な任務を果たした。そして努めて何氣ない顏をして、次の自分の講演にとりかかろうとしたら、その主任教授が「P君、君の幻燈板はどこにあるの?寄こし給え」といって、受けとって、さっさと幻燈機のところに行ったそうである。
 アメリカでは、手近なことで、人の手助けをするのが、常識になっているので、こういうことをするのが、當り前のことなのである。正直者のP君は「あの時は、本當に自分でも恥かしいと思いました。神妙に幻燈係をつとめておいてよかったですよ」と告白していた。
 國がちがうと、習慣はもとより、ものの考え方までが、表面上は著しくちがっているので、とかく誤解が起き易い。P君の場合でも、もしこの後半の場面がなくて、前半だけを經驗して歸國したら、まるでちがったアメリカ觀を、ひょっとしたら一生もちつづけるかもしれない。
 人間同士の間に起るいろいろなトラブルの中には、相互の理解が缺けているために起るものが、相當たくさんありそうである。じっくりと話し合って、双方の考え方がよく分かれば、たいていの問題は、案外簡單に片づくのではないかという氣がする。
 今の日本で一番重大な問題は、憲法改正の問題であるが、これなども、兩黨が、初めからプラスとマイナスとの兩側に立ってしまわないで、まず話し合をすべきではないかと思う。



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