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最後の独裁者
さいごのどくさいしゃ
作品ID61452
著者中谷 宇吉郎
文字遣い旧字新仮名
底本 「百日物語」 文藝春秋新社
1956(昭和31)年5月20日
入力者砂場清隆
校正者木下聡
公開 / 更新2025-09-21 / 2025-09-20
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 アルゼンチンのペロンが遂に失脚した。ほとんど最後の獨裁者といってよかったペロンも、到頭多年に亙る獨裁政權から追放されて、危く國外に身をもって逃れる悲境に陷った。前にこの話の中に、アルゼンチンのインフレの話を書いたが、あれから一月も經たないうちに、最後の破局に到達したわけである。
 今回のクーデターは、カソリック彈壓の餘波が、多年の軍部の不滿を爆發に導いたといわれている。そういう意味では、中世紀的な宗教鬪爭の匂いがあるが、本當の原因は經濟的なところにあるのではないかと思われる。
 ペロンが獨裁者としてアルゼンチンに君臨出來たのは、二つの強力な基盤をもっていたからである。一つは組合員六百萬と誇稱した勞働組合であり、いま一つは陸軍の高級將校たちであった。前回の海軍によるクーデターが失敗に歸したのは、陸軍がペロン側についたからである。ペロンがこれ等の擁護者を獲得したのは、主として利をもって誘った傾きがあった。例えば、陸軍の高級將校たちには「特別許可」を與えて、自動車を一臺無税で輸入する權利を與えた。それで將校たちは、アメリカから一臺三千弗の自動車を輸入して、即日闇で一萬弗に賣ることが出來た。
 勞働組合の方は、もっと大規模であって、獨裁者の庇護のもとに、たびたびストライキを行い、その都度賃金を飛躍的に値上げさせて來た。それで今までシャツ一枚も持てなかった勞働者たちには、ペロン、とくに勞働者の女神ペロン夫人は、鑚仰の的であった。もともと貧富の差の激しいところで、勞働者たちの生活水準を上げるという目的だけならば、ペロンの施策は正しかった。しかしペロンは、自己の獨裁基盤を作り上げるために、勞働組合を「買收」した點において謬っていた。即ち經營を無視して賃上げを斷行したのである。
 その結果、勞働者たちは、一時收入増加で喜んだが、生産能率は急激に低下し、インフレが嵩まって來た。弗と並び稱された「磐石のペソ」が、じりじりと落ちて來て、實價は十分の一以下に下った。闇相場でも、弗の買値はあるが、賣値はないような状態で、前途は暗澹としている。物價の向上は賃金の値上げをほとんど無意味にして、生活はますます苦しくなる。
 こういう時期に、ペロンがアルゼンチンの國民感情を無視して、カソリックに手を出したのがいけなかったのであろう。今度も陸軍の幹部は初め動かなかったが、兵隊や下級將校たちは、海軍空軍と協力して、ペロン打倒に加わった。「六百萬人の組合」も、いよいよとなると、落ち目のペロンには、擁護の手を差しのべなかった。「買收」による味方は、いよいよの時には、頼りにならないものである。



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