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大漁貧乏
たいりょうびんぼう
作品ID61462
著者中谷 宇吉郎
文字遣い旧字新仮名
底本 「百日物語」 文藝春秋新社
1956(昭和31)年5月20日
入力者砂場清隆
校正者木下聡
公開 / 更新2025-07-14 / 2025-07-14
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 最近のラジオで、宮城縣のサンマの大漁貧乏の話をしていた。
 サンマがとれすぎて、加工も間に合わず、一貫三十圓まで下がったが、それでも買い手がないということであった。漁業會の人だったかが、「もうこうなると、少し漁がなくなってくれるのが、一番いいんですがね」とこぼしていた。
 氷が間に合わず、魚肥にするにも釜が足りないとなると、こういう贅澤な(?)悲鳴が出るのも仕方がないことであろう。不漁で一番困るのは漁師であろうが、とれすぎても、やはり漁師が一番困るのでは、全く浮ぶ瀬がない。
 昔、二十年ばかり前の話であるが、札幌へ初めて赴任してきたころ、鮪がとれすぎて、大暴落をしたことがある。釧路の附近で、鮪の大漁があって、氷と輸送とに困り、大鮪一匹八十錢にまで下がったことがある。今の圓價にして二百五十圓くらいである。
 その時と限らず、そのころ一般に、札幌では鮪がたいへん安く、刺身一人前五錢であった。東京ではそれが五十錢もしていて、われわれには、滅多に口に入らぬ御馳走であった。人の良い叔父がいて、一生の望みは、一度鮪の刺身を、腹一杯食べて見たいというのであった。
 その叔父が、たまたま札幌へきたので、一圓五十錢を奮發して、三十人前の鮪の刺身を、大皿一杯に盛って出した。最初はぎょっとしたらしいが、一生の望みを此處で果そうと、悲壯な決心をしたものと見えて、到頭それを全部平げてしまった。あと別に腹をこわした樣子も見えなかったから、人間三十人前までは、鮪の刺身を食っても大丈夫なようである。
 とれ過ぎて安くても、こういう風に、消費者に喜ばれれば、まだよい。しかし肥料にもならなかったら、まことに情ない氣持になるであろう。苦勞した漁師たちに氣の毒なばかりでなく、貧しい日本にとって、最大の資源を浪費することにもなる。
 これは澁澤敬三さんに聞いた話であるが、アメリカ太平洋岸の鰯漁業者たちは、漁獲高の數パーセントをそれぞれ醵出して、魚類學者に、研究費として渡しているそうである。研究課題は、現在の鰯の漁獲量を、このまま續けて行っても、將來資源が枯渇するようなおそれが無いか否かを、調べてもらうというのである。
 本當は、其處まで行くのが理想的であるが、日本の現状では、まだ少し無理であろう。それにしても、今少し水産資源の保護ということも、考えた方がよいのではなかろうか。北海道の※[#「魚+東」、U+9BDF、191-14]が、年々にとれなくなって、北海道の經濟全體に響いていることは、周知のとおりである。
 こういう問題は、不漁の時に出しても駄目で、大漁の時こそ、言い出すのに一番よい時機のように思われる。



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