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天災は忘れた頃来る
てんさいはわすれたころくる
作品ID61470
著者中谷 宇吉郎
文字遣い旧字新仮名
底本 「百日物語」 文藝春秋新社
1956(昭和31)年5月20日
初出「西日本新聞」1955(昭和30)年9月11日
入力者砂場清隆
校正者木下聡
公開 / 更新2024-09-01 / 2024-08-31
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 今日は二百二十日だが、九月一日の關東大震災記念日や、二百十日から、この日にかけては、寅彦先生の名言「天災は忘れた頃來る」という言葉が、いくつかの新聞に必ず引用されることになっている。
 ところで、よく聞かれるのであるが、この言葉は、先生のどの隨筆にあるのかが、問題になっている。寅彦のファンは日本中にたくさんあって、先生の全集は隅から隅まで、何回となく繰り返して讀んだという熱心な人がよくある。そういう人から、どうもおかしいが、この言葉は、どこにも見當らない。一體どこにあるのか、という質問をよく受ける。
 實はこの言葉は、先生の書かれたものの中には、無いのである。しかし話の間には、しばしば出た言葉で、且つ先生の代表的な隨筆の一つとされている『天災と國防』の中には、これと全く同じことが、少しちがった表現で出ている。
 それで私も、この言葉が先生の書かれたものの中にあるものと思い込んでいた。もう十五年ばかりも昔の話になるが、たしか東京日日新聞だったかに頼まれて『天災』という短文を書いたことがある。その文章の中で、私はこの言葉を引用(?)して「天災は忘れた頃來る」という寅彦先生の言葉は、まさに千古の名言であると書いておいた。
 ところが、この言葉が、その後方々で引用されるようになり、とうとう朝日新聞が、戰爭中に、一日一訓というようなものを編集した時、九月一日の分に、この言葉が採用されることになった。
 正月元旦の「日本國は神國なり」から始まって、三百六十五日分、毎日その日に何かいわれのある言葉を、集めたものである。そしてそれには、いろいろな人が、出所と解説とを書くことになっていた。私は九月一日「天災は忘れた頃來る」の解説を頼まれ、まず出所を明らかにと思って『天災と國防』を讀み返してみたが、無い。慌てて天災に關係のありそうな隨筆を、片っ端から探して見たが、どうしても見當たらない。
 大いに困ったが、この言葉の方は、すでに愼重な會議をなんべんも開いて、採用に決定していたので、止めるわけには行かない。それで『天災と國防』の中にこれと全く同じことが書いてあるという理由で、解説を適當に書いて、勘辨して貰った。
 もともとこの言葉は、書かれたものには殘っていないが、寅彦の言葉にはちがいないのであるから、別に嘘をいったわけではない。面白いことには、坪井忠二博士なども、初めはこの言葉が、寅彦の隨筆の中にあるものと思い込んでいたそうである。それでこれは、先生がペンを使わないで書かれた文字であるともいえる。



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