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放射能の害
ほうしゃのうのがい
作品ID61486
著者中谷 宇吉郎
文字遣い旧字新仮名
底本 「百日物語」 文藝春秋新社
1956(昭和31)年5月20日
入力者砂場清隆
校正者木下聡
公開 / 更新2025-12-08 / 2025-12-07
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 今度のジュネーヴにおける原子力平和利用の會議で、放射能の遺傳に及ぼす障害が問題になった。
 日本では放射能の雨や鮪の汚染が大問題になったが、アメリカはじめ諸外國では、今までそう問題にしていなかった。とくにアメリカでは、自國内のネヴァダ州で、何十回となく實驗をしていながら、平氣な顏をしていた。人體には害はないという自國の科學者の言葉を皆が信用していたからであろう。
 しかし一つ問題が殘っていたので、それは現在は害はないが、將來遺傳の上で、惡影響があるかもしれないという點であった。放射能をあまりたくさん受けると、不具の子供が出來易いことは、動物實驗で分っていたからである。
 もっとも原子力を使わなくても、地球の中の微量のラジウム類、及び宇宙線、それに人體内の炭素及び加里に、初めから少し放射能があるので、人間は少量の放射能ならば、大昔から受けていたのである。レントゲン單位という單位で測って、五十年間に七・一五くらいは、誰でも受けているのである。
 問題は、それがどの程度以上になると、遺傳上の惡影響が出てくるかという點にある。英國の專門家たちは、以前は一生涯に三以上はいけないといっていたが、アメリカの學者たちは、五十くらいまではいいと考えていた。今度英國の醫學研究會議のカーター博士は、二十五くらいが限度だろうという説を出した。
 本當のところは、この方面の專門家たちにも、まだ分っていないと考えて差しつかえない。將來のことであるから、なかなか分らないのである。それで二十五というのも、五十と三との中間をとったような話であるが、大體の見當はつくであろう。
 ところで過去十年間に、アメリカ人は數十回という原爆實驗で、どれだけの放射能を受けたかというと、それは二よりちょっと少い量である。それで今度原子力を平和目的に方々で使っても、注意さえしていれば、何も心配はない。今までの割合だと、百年生きていて、その間ずっと放射能を受けつづけて、漸く危險性があるという程度である。それで「放射能に對して、あやまった恐怖感を抱いてはいけない」と強調していた。
 以上は今日のデイリイ・ニュースの記事を紹介しただけで、内容の當否は全然分らない。ただアメリカ人もまたアメリカの新聞も、放射能に對して、そう神經質になっていないことだけは事實である。アメリカでは、こういう問題はまず學會で論議され、それから新聞種となる。日本はその逆の傾向があるが、これはどうもアメリカ流が本當ではないかと思う。



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