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松の家
まつのいえ
作品ID61488
著者中谷 宇吉郎
文字遣い旧字新仮名
底本 「百日物語」 文藝春秋新社
1956(昭和31)年5月20日
入力者砂場清隆
校正者木下聡
公開 / 更新2026-05-01 / 2026-04-30
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 岩波さんの惜櫟莊に輪をかけた話が、アメリカにある。それは松の大木を助けるために、生きた松の木をそのまま大黒柱にして、家を造った話である。
 ネヴァダ大學に永年勤めていて、四五年前に引退した、チャーチ博士という老教授がいる。以前に國際雪氷委員會の總裁をしていた人で、二十年越しの知り合いである。
 昨年の夏、歸國の途次、この老先生を、リノの町に訪ねた。そしたら八十七歳のこの老先生が非常に喜んで、近くのタホ湖にある別莊へ行こうという。それで妻や娘たちも一しょに、この老先生を自動車に乘せ、ネヴァダ山脈の中腹にあるタホ湖まで出かけて行った。
 タホ湖というのは、カリフォルニア州とネヴァダ州との境に位し、たしか五千フィートくらいの高さのところにある、美しい湖である。太平洋側では、屈指の避暑地で、輕井澤と十和田湖とを兼ねたようなところである。
 湖をめぐって、松の大木が黒いような森をなしている。その森の中に、色とりどりの別莊が點在していて、まことに美しい土地である。松といっても、砂糖松(シュガー・パイン)という種類で、非常に大きくなり、幹は杉のように眞直である。ちょっと大きい木だと思うと、幹は二抱え以上あるのが普通である。松毬は長さ一尺以上もある。
 ところで、三十年くらい前に、チャーチ先生、ここに土地を買って、別莊を建てようとしたのであるが、その時松の木は一本も伐ってはいけないと、岩波さんのようなことをいい出した。もっとも向うが、先口である。
 チャーチ先生の息子は建築學者で、親爺からこういう命令を受けたが、松林の中で、松の木を一本も伐らないで、家を建てることは、普通にはできない。しかしそんなことをいってもきく親爺ではないので、けっきょく比較的孤立した松を、そのまま大黒柱にして、八角形の家を造ることにした。東洋美術にも趣味のある男で、夢殿の寫眞を見て、そっくりな家を建てた。もっとも屋根の中心から、大きい松の木がのび出ているところは、夢殿とはちがう。
 はいってみると、なるほど妙な感じである。眞ん中の松は、二抱え半くらいあって、その根本の周圍は、土のままにして、砂利を敷いてある。松の木は生長するので、屋根を固定することは出來ない。それで雨は幹を傳わって落ちて、この砂利の中に吸い込まれるようになっている。なかなか風流である。
 一番閉口したのは、暴風雨の時に、松の木が搖れる點である。これは細い垂木を井桁に組んで、クッション作用をさせ、巧く逃れていた。三十年間、松の木はどんどん生長しても、家はちゃんとしているのだから傑いものである。とにかくアメリカにも、變った人間がいる。



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