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![]() らっきょうとはとうがらし |
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作品ID | 61501 |
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著者 | 中谷 宇吉郎 Ⓦ |
文字遣い | 旧字新仮名 |
底本 |
「百日物語」 文藝春秋新社 1956(昭和31)年5月20日 |
入力者 | 砂場清隆 |
校正者 | 木下聡 |
公開 / 更新 | 2025-06-11 / 2025-06-11 |
長さの目安 | 約 3 ページ(500字/頁で計算) |
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この前二年間アメリカへ來たときに、初めは食い物に不自由するかと思ったが、案外に日本の食い物が何でもあるので、驚きもし、かつ安心もした。
もっともアメリカ中どこでもというわけにはいかないので、サンフランシスコとか、ロスアンゼルスとか、シカゴとかいう街の話である。シカゴは戰前には日本人が五百人くらいしかいなかったが、戰後急に増えて二萬人近くになった。もちろん二世を入れての話である。戰爭中は加州にいた日本人を、大陸の内部に收容した。その人たちが、戰後にアメリカ各地に散在することになったので、シカゴの日本人が急に増えたのである。
二世はほとんど英語しか喋れないが、食い物は、子供のころに習慣がつくものと見えて、たいてい日本食を好む。それでまず二萬人の需要があることになる。皆消費度が高いので、日本の人口五萬くらいの町の需要と思っていいであろう。
人口五萬の町といえば、魚屋の四軒や五軒あっても、ちっともおかしくはない。事實シカゴにも日本人向きの魚屋兼食料品店が五軒ばかりあって、どこでもマグロの刺身やカニなどを賣っている。「アメリカ大陸の眞ん中でまで、マグロの刺身や握り壽司を食べたがる。だから日本人は……」などと叱られるかもしれないが、これはマグロの刺身で代表される日本の思い出を食べているのである。
魚ばかりでなく、味噌でも、醤油でも、豆腐でも、こんにゃくでも、何でもある。醤油は野田の一流品を輸入しているが、あとのものはアメリカでつくっている。それにありがたいことには、らっきょうや澤庵まである。そのうちらっきょうは、樽で輸入するらしいが、非常に上等である。多分日本の田舍でつくったものを直接輸入するのであろう。サッカリンなどもちろんはいっていないし、砂糖も少ししか使ってない昔ながらのらっきょうである。
東京などでは、こういうらっきょうは、もう食べられない。花らっきょうなどと稱して、小さいらっきょうを瓶詰にしたものがあるが、ぐにゃぐにゃしていて、それにサッカリンか砂糖かがはいっているので、どうにもならない代物である。
そのほか驚いたことには、葉唐辛子の佃煮がある。これも上等の醤油で煮つめたもので、いやな人工調味料は使ってなく、まさに本格的のものである。南氷洋へ鯨をとりに行く人たちは、赤道附近を通るとき、この葉唐辛子しかのどを通らないそうで、その目的でつくられるものだそうである。
一年ぶりで、またシカゴへ顏を出してみたら、もとどおりのらっきょうと葉唐辛子があるので、大いに安心した。