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クラム・ベーク |
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| 作品ID | 61506 |
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| 著者 | 中谷 宇吉郎 Ⓦ |
| 文字遣い | 旧字新仮名 |
| 底本 |
「百日物語」 文藝春秋新社 1956(昭和31)年5月20日 |
| 入力者 | 砂場清隆 |
| 校正者 | 木下聡 |
| 公開 / 更新 | 2025-10-18 / 2025-10-18 |
| 長さの目安 | 約 3 ページ(500字/頁で計算) |
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米國の東海岸、ニュー・イングランド地方には、流石に古い傳統が殘っていて、ジャズの國アメリカでは一寸考えられないような料理がある。「クラム・ベーク」というのが、その一つであって、今度の會議の懇親會で、初めて食べてみたが、なかなか風趣のある料理である。これは東部でも、海岸地方にだけ殘っているもので、日本でも珍しい料理の一つであろう。
料理は野外でやるので、廣々とした草地の中に、まず大きい石塊を並べて、四角形の場所を作る。その中は六尺に九尺くらいあって、その中で太い丸太をどんどん燃やす、下の地面も周圍の石塊も、それですっかりやける。丸太が燃え切った頃には、眞赤なおきが、この六尺と九尺の區劃の中に一杯並ぶ。このおきと燒け石との上に、ひじきのような褐色の海藻を、厚さ二寸くらいに一杯に敷きつめる。これは生の海藻をそのままおきの上に載せるのであるから、湯氣がもうもうと立って、なかなか壯觀である。
この海藻の上に、蝦と玉蜀黍と野菜とを載せ、その上にまた海藻を敷く。そしてその上にクラムという貝を並べて、上からテント用のズックですっかり蔽ってしまう。そして何時間か待っていると、海藻から出る蒸氣で全部のものがすっかり蒸される。その頃を見はからって、ズックをあけてみると、まず貝が丁度いいくらいに蒸されている。それを取り出してまたズックで蔽っておくと、貝を食べているうちに、次の蝦だの玉蜀黍だのが、いい工合に蒸される。
クラムという貝は、烏貝のような形で、大きさは、四分の一くらい、色はあさりに似ている。この邊の海岸の砂濱のところで、いくらでもとれるものの由である。見たところ、下等な貝であるが、こういう蒸し方だと、肉も軟くなり、海藻の匂いが浸み、また海藻から出る鹽味が丁度いい工合について、なかなか美味い。
これを錢湯の洗い桶くらいの大きさのものに、一杯入れてくれる。別に味は何もつけないで、液状バターに浸しながら食べるのであるが、磯のかおりがあって、食通には大いに喜ばれそうな味である。
ビールを飮みながら、このクラムを一桶食べた頃には、蝦と野菜が丁度いい加減に蒸されている。蝦も、アメリカでは、このあたりの海のものが一番良いので、普通シカゴの料理店などで出すアフリカ海岸の蝦とは、格段のちがいである。それに海藻の匂いと鹽味とが、適當について、なかなか風趣のある味である。
考えてみれば、人件費の高いアメリカでは、これはたいへん贅澤な料理であろう。生の海藻を採って、運んで來るだけでも大仕事である。こういう料理が、現在でも珍重されて殘っているところを見ると、アメリカ人にも、ものの味のわかる人が相當いるらしい。