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夢に荷風先生を見る記
ゆめにかふうせんせいをみるき
作品ID61603
著者佐藤 春夫
文字遣い新字新仮名
底本 「たそがれの人間 佐藤春夫怪異小品集【底本画像有】」 平凡社ライブラリー、平凡社
2015(平成27)年7月10日
初出「回想の永井荷風」霞ヶ関書房、1961(昭和36)年4月30日
入力者持田和踏
校正者noriko saito
公開 / 更新2025-04-30 / 2025-04-26
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 荷風先生の回想なら拙作「小説永井荷風伝」のなかに何一つ漏さず書き尽して一つの話題をも漏らさなかった。だからここに新しく書きかえる事は何もない。
 小説荷風伝を書いた結果、荷風に関して別に書くべき事が生じたのは「実説永井荷風」とでも銘を打って非小説の文壇生活の実情をもルポルタージュとして記録して置きたいと思っているが、それはここに書くには少々長すぎるばかりか、あまり適当ではないような気がする。
 そこで気軽るに執筆を引き受けては置いたようなものの、書くべきことは何もないというよりは小説荷風伝を書いた事と実説荷風に書きたい事とによって、荷風晩年の側近と自称して荷風を食い物にしている下劣な男とそんな男を無条件に信じている馬鹿な一批評家のおかげで、わたくしは彼らがわたくしを中傷するために口なき故人の語をつくり出したとは信じながらも、わたくしは往年の荷風崇拝から脱却したような気がして、何も改めて書きたくないと思っていたのかも知れない。
 ところが、ついこのほど、あれは十日か二週間ばかり前でもあったろうか、夢に荷風先生を見てさめ、自分はまだやはり往年の荷風崇拝から卒業し切っていないのだ。自分の心の底に根を張った昔ながらの荷風先生は今もまだわたくしの心に生きていたことを知った。そこでその夢を語る痴人になろうと思う。
 夢は多分、この原稿を書かなければならないが、書くべき何事も無いのを思い煩った明け方の残夢でもあったらしい。
 夢のなかでわたくしは荷風先生の死を、はじめて聞いた。わたくしは荷風先生の亡くなった家を見て置きたいと思い立って、直ぐ家を飛び出した。わたくしは先生の亡くなった家というのを当時まだ見ていなかったからである(この事は事実である)。
 夢のなかの荷風先生臨終の家というのは何処だかわからないが、ちょっとした丘をのぼったところにあった。屋後に出ると月の下には家々が遠くつづいて見えた。後に思えば、あの眼下の町の様子はどうも三田山下の一角稲荷山であったらしい。稲荷山というのは三田の塾の奥で演説館のあるところで、わたくしは前年の秋二度ほどここへ行って、往年の塾の学生時代を思い出していた。
 丘の上の家はいかにも主の亡くなった人のように閉め切っていた。それで裏手にまわって見ると、庭は黄色くもみじした雑木の林でその根方のスロープ一面にうす赤い色の尾花が風になびいている。季節は秋で夢は美しい色彩があった。わたくしは二三十年ぶりで色彩のある夢を見たのである。
 しばらくこの庭に佇んであたりを見まわしていたが、再び表へまわって門の入口から敷石づたいに(この敷石は偏奇館の門から玄関に通ずるものと同じであった)門から出ようとすると、家から出て来た人がある。見れば、それが夢というものなのであろう、死んだはずの荷風先生であった。わたくしは先生が突然ここに出て来たのを少しも怪しみもせ…

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