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幽情記(現代訳)
ゆうじょうき(げんだいやく)
作品ID62060
著者幸田 露伴
翻訳者中村 喜治
文字遣い新字新仮名
底本 「露伴全集 第六巻」 岩波書店
1953(昭和28)年12月20日
入力者中村喜治
校正者
公開 / 更新2023-07-30 / 2023-07-17
長さの目安約 147 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

真真


 花に百日の匂い無し、家どうして千年の栄えを保てよう、紅も紫も春の一時、富も尊も虹の七色のように果敢無い。移り変わる人の世の様はまことに悲しい。中国は宋の時代のこと、真西山という人はその死に際して、天子も動転して政務の情熱を失ったと云うほどの人である。四才で学問を受け、若い時から郷土の楊圭と云う者からは器量が尋常でないと認め知られ、成長の後は国家有用の人材となって、天子に仕えて忠、人民に臨んで仁、文章や学問に優れるだけでなく、経済や政治に於いても実績のあることは、「宋史」の巻四百三十七を読めば知ることができる。特に寧宗や理宗の時代は宋の勢威が衰えて、内憂外患共に多く、有能な者の多くが保身に走る中で、敢然として信念を曲げないで、韓[#挿絵]冑が朱子学を排斥し、善人や正士を斥けて、程子や朱子等が一代の心力を尽して解き明かした聖賢の学の著述を、総べて禁じて廃止しようとした時代に、敢然と之を自身の学問として自認し、講習し実行した偉大さは他の及ばないところである。この禁令が解けて聖学がついに明らかになったのも、西山の力によるところが多いと後世がこれを称えるのも尤もである。西山の人柄はこのようである。西山先生、名は徳秀、本の姓は慎、考宗の諱を避けて真と改める。仕えて参知政事に成り、死して銀青光禄太夫を贈られる。文忠と諡されて、生前は当時の大儒学者として人々から仰ぎ見られ、死後は聖学の功臣として後の人々の推服するところとなる。しかし、その子孫は子の志道が家学を伝えただけでその後は知られていない。
 月日はページをめくるように宋の時代は過ぎて元の世となる。元もまた世宗・成宗を経て、武宗の時代となって姚燧と云う人が在った。王を補佐して才能あった姚枢と云う大官の甥で、寛仁恭敏、未だ嘗て人を疑い己を欺くことが無いと云われた叔父に劣らず、この人もまた徳があり才能があり文章で名を成していた。官位は翰林学士承旨にまでなり、諡を文公と云われたほどの人である。。
 ある日、翰林院の盛宴に於いて貴賓顕官が多く集まり、琴や笛を華やかに演奏する当時の粋を選び抜いた花のような妓女の中に、真真と云う者が居て、遠く離れた南方の節で歌ったのを文公(姚燧)が訝しく思って、「この都の近辺の者では無いようだが、何処の者であるか」と優しく尋ねた。貴人の思いがけない慈悲ある言葉にかよわい女の心は動いて、憂いある身は涙も誘われやすく、「御言葉のように、ここら辺りの者ではございません。私は山河はるかに隔たった建寧の者にございます。」と声を曇らす。言葉の調子が異なるのも頷ける。「建寧といえば、揚子江を南に超えてなお遥かな土地ではないか、なにゆえ上京したのであるか、物言いも人柄も卑しくは見えないが、何者の子孫であるか、訳がありそうだが」とまた質す。思いやりある春風の訪れに零れる花の露、はらはらと泣き俯いて、「身…

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