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蜻蛉日誌
かげろうにっし
作品ID62478
著者円城 塔
文字遣い新字新仮名
底本 「京都文学レジデンシー トリヴィウム」 京都文学レジデンシー実行委員会
2022(令和4)年3月31日
初出「京都文学レジデンシー トリヴィウム」2022(令和4)年3月31日
入力者円城塔
校正者Juki
公開 / 更新2024-02-06 / 2024-02-06
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 鴨川の石をすべてひっくり返してやろうという願をかけたのは、その誕生日のことであったという。
 七本の蝋燭の立つ牡丹餅を前に宣言した。
 親は止めた。
 兄も止めた。
 まだこの世に気配さえない弟だけが、その願掛けを喜んだ。その願いとは、弟が欲しいというものであったからである。いまだ道理をわきまえぬ未存在のものであるから、ただただ無邪気に自らが兄に望まれたことを祝った。
 川の石を全てひっくり返すことができなかったら願が一体どうなるのかは、当人にもまだ存在しない弟にも想像の及ぶところではなかった。両親のほうではごく平常に、こづくりということは考えており、願掛けの要は認めなかった。むしろその願こそが邪魔になるおそれを抱いた。止めようとするみなを構わず、一息に蝋燭の火は吹き消され、さてそれは願を立てる作法にふさわしくもみえた。

 願のことは翌日には忘れてしまったが、中学生になってから、本当に鴨川の石を一枚一枚、ひっくり返して歩いた。なぜかそうした。弟はついぞ産まれなかった。生まれることもまたないはずである。いもうとはひとり、できていた。
 子守を任されたときは、その手を引いて河原へおり、一枚一枚石をめくった。いもうともまた手伝った。石の裏にはさまざま、小さな生き物たちが棲んでいた。つまんで針に取りつけてふたり並んで竿を下ろした。夕食ができるときもあり、できぬこともたまにはあった。
 観察日誌をつけている。その日みつけた虫たちとその日の出来事、食事の内容、いもうとの様子などが記されていくことになる。

 カゲロウ、カワゲラ、トビケラといった住人を好み、なかでもカゲロウを特に好んだ。トビケラには趣味の合わないところがあった。
 もっとも、分類は独自であって、生命観も特殊であった。形態にも着目したが、主に生活のありようを見た。成長といった形では個体の連続を考えなかった。昨日見たある種のカゲロウの若虫が、次の日には別種のカゲロウの若虫になっているということがありうるのではという疑いを実験したりした。
 観察日誌にはその日見かけたカゲロウの種類と数が記されており、それに何かのマークをつけて再び川へと返した様子が記されている。蝋やマジックインキを用いて個体の識別を試みた。エルモンヒラタカゲロウには白、ナミヒラタカゲロウには黄色といった具合で色を定めてみたものの、翌日以降再び姿を見せる者はなかった。
 カゲロウの形は多様であり、それぞれをカゲロウだとあらかじめ知っていなければ同じカゲロウであるとは思えぬほどの違いがあった。身の細く長い奴がおり、太く短い奴があり、平たい奴が、丸々とした奴がいた。
 川から出て群飛をしたならほんの二時間といわれるカゲロウの世話を焼いてやり、意外と生きることを知る。
 日誌の左頁には淡々と観察結果が記されていき、右頁では独自の世界観が展開されて、…

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