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ゼロの輪廻
ゼロのりんね |
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作品ID | 62683 |
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副題 | 怪奇シリーズその5 かいきシリーズそのご |
原題 | The Circle of Zero |
著者 | ワインバウム スタンリー・G Ⓦ |
翻訳者 | 奥 増夫 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
初出 | 1936年 |
入力者 | 奥増夫 |
校正者 | |
公開 / 更新 | 2024-07-26 / 2024-07-23 |
長さの目安 | 約 32 ページ(500字/頁で計算) |
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第1章 永遠への挑戦
たとえば高さ1600[#挿絵][#挿絵]の山があって、何千年にもわたり、1羽の鳥が飛び越えるたびに、羽先でちょっと頂上をこするだけでも、途方もない時をかければ、山は擦り切れてしまうだろう。だがその時間ですら永遠の長さに比べれば、ほんの1秒にもならない。
これにどんな哲学命題が込められているのか知らないが、この言葉で絶えず思い出すのは以前出会ったオーロラ・ディニン先生、かつてのチュレーン大学心理学教授だ。1924年当時、教授の異常心理学を専攻した唯一の理由は、とにかく火曜日と木曜日の11時に講座を受けて、つまらん学科を終了する必要があったからだ。
俺は陽気なジャック・アンダーズ22歳、これでわけが充分わかろうというもの。少なくとも確かなのは黒髪のかわいい娘のイヴォン・ディニンとは全く関係ない。だって、やせっぽちの16歳、子供だもの。
老ディニン先生が俺をひいきにした理由は知らないが、出来がとても悪かったからか。たぶん目の前で先生のあだ名を決して言わなかったからだろう。オーロラ・ディニンを翻訳すれば、“無の夜明け”だろ。想像できようというもの、学生らがあだ名をつけるさまが。“昇るゼロ”とか“空っぽ朝”とか。まあ、軽いほうのあだ名だが。
1924年はそんな年だった。それから5年後、俺はニューヨークで証券営業マンになり、オーロラ・ディニン先生は退官した。これを知ったのは電話で呼び出された時だ。なにしろ大学とは音信不通だったから。
先生はつましい人だ。充分な貯えを持って、ニューヨークへ移住して来た。そのとき再び娘のイヴォンを見て驚いたのなんの、神秘的なほど美しく変身し、タナグラ人形さながら。俺は結構うまくいっていたので、金を貯めたあかつきにはイヴォンと……
少なくとも1929年の8月はそんな状況だった。同年の10月になると、大恐慌による株価暴落のため、俺はすってんてんになり、老ディニン先生はちょっとばかりの貯えが残った。俺は若かったから笑い飛ばせたが、先生は歳を取っていたので苦境に追い込まれた。実際、イヴォンと俺の将来を考えた時、ちっとも笑えないけれども、先生のように深刻には考えていなかった。
思い出すのはある晩、先生が“ゼロの輪廻”という課題を切り出したときだ。暴風雨の秋夜、先生のあごひげが淡いランプに揺れるさまは、ひとすじの霧のよう。イヴォンと俺は夜遅くまで居た。芝居見物は金がかかるので、イヴォンは俺が父と語り合うのを喜んでいるようだった。やはり、先生は隠居には早かった。
イヴォンは長椅子で、父の隣に座っていた。突然、先生が節くれだった指を俺に突き出し、こう切り出した。
「幸せはカネ次第だ」
俺はびっくりして相槌をうった。
「ええ、役立ちますね」
先生の淡い碧眼がギラリ輝き、絞り出すように言った。
「金を取り戻さんと…