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旅する琵琶湖
たびするびわこ
作品ID62762
著者円城 塔
文字遣い新字新仮名
底本 「文學界 第七十八巻第十号」 文藝春秋
2024(令和6)年10月1日
初出「文學界 第七十八巻第十号」文藝春秋、2024(令和6)年10月1日
入力者円城塔
校正者大久保ゆう、Juki
公開 / 更新2026-01-01 / 2025-12-30
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 伊賀に生まれた。
 ついては、三重県産ということになるかもしれない。もっとも、生まれたときにはまだ県というものはなかった。
 その頃、人類はまだ遠くアフリカ大陸にあった。人類とはいえ「ようやく樹から降りてきた」というくらいのところであって、また樹上に戻ったりした。いわゆるホモ・サピエンスまでは遠く、極東よりもはるかである。
 恐竜はさすがに絶滅している。数千万年前の生き物であり、さすがに実見したことはない。
 魚はいた。鳥もいたとしておく。色とりどりの羽を広げて群れをなし、湖から魚をさらうくらいのことがなければ飽きる。ネズミみたいな奴輩もいたとしておく。象についてはどうしたものか。やはり、人と同じ頃にやってきたものだとしたい。どうも昔の人間たちはそれほど積極的に象を狩ったりはしなかったようであるのだが、ここはやはり、象を追ってきたということにしておく。それはおおよそ四万年前あたりのことになり、わたしの誕生から百万年単位の時間が経過してからのできごとである。わたしが成人してからでさえ、数十万年が経っていた。
 ひょっとすると山や海と同じくらいの寿命があると思われたりもするのだが、湖にも寿命はあって、しかもそう長くない。数万年存在し続けることができたら長寿の方に分類される。心静かに考えてもらうとわかるが、湖とはなにかのためらいのようなものである。ふとした拍子に干上がったり、下流へと押し流されてしまったりする。やせ細れば川と区別がつかなくなり、太っている間は一応、湖ということでいられる。自らの運ぶ堆積物に埋まってしまうこともよく起こる。
 不思議と、四百万年以上を生き続けてきた。ここ最近は琵琶湖という名で売り出している。自分でつけたわけではないが、気に入っている。琵琶とは、わたしのもとへと降り立った神が携えてきた楽器の名である。
 人類の到達する以前のこの列島に神が暮らしていたのか否かについては、いた、としたところでそれほどの文句も出まいと思う。神とはあくまでも、人のあとにようやく生まれ出てくるものではないかと迫られたならそんな気もする。しかしまあ、神が人をつくったという方がとりあえずの落ち着きはよく、人が一旦神をつくってから、その神に人をつくらせたとかいう話になると因果が入り組む。ここでの神はなにか他の言葉、法則とか道理とか想像のなせるわざとかなんでも好きに呼んでもらって構わない。

 ふと、旅に出てみる気になった。
 切っ掛けはおそらく、こうして語りはじめてしまったためだ。口を開くのが許されるなら、歩き出したくもなろうものだ。
 湖だからといって、ひなたぼっこに日を送るべしという法もない。こう見えて、思い立ったらすぐ行動に移す性格である。ふだん、万年単位でじりじり移動しているからといって、素早く動けないわけではないのだ。
 それでも、てくてく歩いていくのは捗…

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