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にじのこ |
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| 作品ID | 62763 |
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| 著者 | 澤西 祐典 Ⓦ |
| 文字遣い | 新字新仮名 |
| 底本 |
「文學界 第七十八巻第十号」 文藝春秋 2024(令和6)年10月1日 |
| 初出 | 「文學界 第七十八巻第十号」文藝春秋、2024(令和6)年10月1日 |
| 入力者 | 澤西祐典 |
| 校正者 | 大久保ゆう、Juki |
| 公開 / 更新 | 2026-01-01 / 2025-12-30 |
| 長さの目安 | 約 9 ページ(500字/頁で計算) |
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淹れたての番茶を一口すすって、真由美は何気なくリビングの窓に目をやった。大きな窓からは、琵琶湖が一望できた。
あっ、来る。窓に貼りついた水滴の向こうに広がる湖の色を見て、そう直感した。
朝から小雨続きだった。天気予報によると、午後も曇天らしかった。しかし空は天気予報を裏切って、雲の薄い部分から晴れ間を覗かせている。なにより水の色が澄んで、淡く輝いていた。
真由美はあわててカーキ色のレインコートを羽織り、その上からライフジャケットを身につけると、玄関脇に置いてあった木箱を抱えて、家の裏手にある船着き場に向かった。以前は手こぎボートに乗っていたが、ここ数年はモーターボートを使っている。雨よけのシートを外し、慣れた手つきでエンジンを吹かす。小気味よい音をあげて、舟が岸を離れたところで、湖の上に虹がかかった。
「虹が出たら、その根元に向かえ」
県内の小学生が集まって、湖上で一泊二日の研修をする「うみのこ」学習で、真由美はそう教わった。「大切なことだからきっと覚えておくように」と念を押された。しかし、今になってみると、先生は噂が広まりすぎないよう、皆がはしゃぎ疲れてうとうとしている時を見計らって話を切り出したとしか思えなかった。合宿から帰ってきた後、同級生は誰もその発言を覚えていなかったからだ。
「虹の根元に蚤の市があるから」
子どもだった真由美は、友達の手前、記憶の隅にそのことを押しやった。
けれど、大人になってから湖畔に家を買い、ボートの上で初めて虹を見つけたとき、思わずそちらへこぎ出したのは先生の言葉に引っ張られたからかもしれない。虹を背にオールで湖水を[#挿絵]んだ。小学生のころにボート部に入っていたから、オール捌きは体に染みついていた。湖を体全体で押し出すようにぐい、ぐいと漕いでゆく。日の光に照らされて湖面が煌めき、顔をあげるたびに比叡山がどんどんと小さくなっていった。道しるべとなる虹はすぐに消えたが、波に打たれながらボートを漕ぐのが楽しくて、そのまま進んでいると、「おーい」と誰かの声がした。そちらを見ると、舟が三、四艘集まっていた。
ほんとうにあったんだ、と嬉しさが込みあげてくるとともに、蚤の市に並ぶ品物の多彩さに目を奪われた。琵琶湖の絵はがきや流木、シーグラス、能面、ピクニックセット、色ろうそく、信楽焼、ホイッスル、絵本、水蜘蛛、十字手裏剣、船の舵、マフラー、トロフィー、ながら漬け、瓢箪、三輪車、黒板消し、スーツケース、南京錠……思い思いの品が舟のなかに置かれていた。眺めているだけで心が浮き立ち、どこで見つけたものなのか、品物の来歴を店主らに尋ねているとあっという間に時間が過ぎた。欲しいものはたくさんあったが決めきれず、かといって何も買わないのは悔しくて、結局その日の夕飯用に鮴の佃煮をもらって帰ることにした。蚤の市は物々交換でなりたってい…