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寒山拾得
かんざんじっとく
作品ID679
著者森 鴎外
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鴎外全集 第十六卷」 岩波書店
1973(昭和48)年2月22日
初出「新小説」1916(大正5)年1月
入力者青空文庫
校正者
公開 / 更新1997-10-08 / 2014-09-17
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 唐の貞觀の頃だと云ふから、西洋は七世紀の初日本は年號と云ふもののやつと出來掛かつた時である。閭丘胤と云ふ官吏がゐたさうである。尤もそんな人はゐなかつたらしいと云ふ人もある。なぜかと云ふと、閭は台州の主簿になつてゐたと言ひ傳へられてゐるのに、新舊の唐書に傳が見えない。主簿と云へば、刺史とか太守とか云ふと同じ官である。支那全國が道に分れ、道が州又は郡に分れ、それが縣に分れ、縣の下に郷があり郷の下に里がある。州には刺史と云ひ、郡には太守と云ふ。一體日本で縣より小さいものに郡の名を附けてゐるのは不都合だと、吉田東伍さんなんぞは不服を唱へてゐる。閭が果して台州の主簿であつたとすると日本の府縣知事位の官吏である。さうして見ると、唐書の列傳に出てゐる筈だと云ふのである。しかし閭がゐなくては話が成り立たぬから、兎も角もゐたことにして置くのである。
 さて閭が台州に著任してから三日目になつた。長安で北支那の土埃を被つて、濁つた水を飮んでゐた男が台州に來て中央支那の肥えた土を踏み、澄んだ水を飮むことになつたので、上機嫌である。それに此三日の間に、多人數の下役が來て謁見をする。受持々々の事務を形式的に報告する。その慌ただしい中に、地方長官の威勢の大きいことを味つて、意氣揚々としてゐるのである。
 閭は前日に下役のものに言つて置いて、今朝は早く起きて、天台縣の國清寺をさして出掛けることにした。これは長安にゐた時から、台州に著いたら早速往かうと極めてゐたのである。
 何の用事があつて國清寺へ往くかと云ふと、それには因縁がある。閭が長安で主簿の任命を受けて、これから任地へ旅立たうとした時、生憎こらへられぬ程の頭痛が起つた。單純なレウマチス性の頭痛ではあつたが、閭は平生から少し神經質であつたので、掛かり附の醫者の藥を飮んでもなか/\なほらない。これでは旅立の日を延ばさなくてはなるまいかと云つて、女房と相談してゐると、そこへ小女が來て、「只今御門の前へ乞食坊主がまゐりまして、御主人にお目に掛かりたいと申しますがいかがいたしませう」と云つた。
「ふん、坊主か」と云つて閭は暫く考へたが、「兎に角逢つて見るから、こゝへ通せ」と言ひ附けた。そして女房を奧へ引つ込ませた。
 元來閭は科擧に應ずるために、經書を讀んで、五言の詩を作ることを習つたばかりで、佛典を讀んだこともなく、老子を研究したこともない。しかし僧侶や道士と云ふものに對しては、何故と云ふこともなく尊敬の念を持つてゐる。自分の會得せぬものに對する、盲目の尊敬とでも云はうか。そこで坊主と聞いて逢はうと云つたのである。
 間もなく這入つて來たのは、一人の背の高い僧であつた。垢つき弊れた法衣を着て、長く伸びた髮を、眉の上で切つてゐる。目に被さつてうるさくなるまで打ち遣つて置いたものと見える。手には鐵鉢を持つてゐる。
 僧は默つて立つてゐるので閭…

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