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妄想
もうそう
作品ID683
著者森 鴎外
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本文学全集4 森鴎外集」 筑摩書房
1970(昭和45)年11月1日
初出「三田文学」1911(明治44)年3月、4月
入力者伊藤弘道
校正者伊藤時也
公開 / 更新2000-05-16 / 2014-09-17
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 目前には広々と海が横はつてゐる。
 その海から打ち上げられた砂が、小山のやうに盛り上がつて、自然の堤防を形づくつてゐる。アイルランドとスコットランドとから起つて、ヨオロッパ一般に行はれるやうになつた d[#挿絵]n といふ語は、かういふ処を斥して言ふのである。
 その砂山の上に、ひよろひよろした赤松が簇がつて生えてゐる。余り年を経た松ではない。
 海を眺めてゐる白髪の主人は、此松の幾本かを切つて、松林の中へ嵌め込んだやうに立てた小家の一間に据わつてゐる。
 主人が元と世に立ち交つてゐる頃に、別荘の真似事のやうな心持で立てた此小家は、只二間と台所とから成り立つてゐる。今据わつてゐるのは、東の方一面に海を見晴らした、六畳の居間である。
 据わつてゐて見れば、砂山の岨が松の根に縦横に縫はれた、殆ど鉛直な、所々中窪に崩れた断面になつてゐるので、只果もない波だけが見えてゐるが、此山と海との間には、一筋の河水と一帯の中洲とがある。
 河は迂回して海に灌いでゐるので、岨の下では甘い水と鹹い水とが出合つてゐるのである。
 砂山の背後の低い処には、漁業と農業とを兼ねた民家が疎らに立つてゐるが、砂山の上には主人の家が只一軒あるばかりである。
 いつやらの暴風に漁船が一艘跳ね上げられて、松林の松の梢に引つ懸つてゐたといふ話のある此砂山には、土地のものは恐れて住まない。
 河は上総の夷[#挿絵]川である。海は太平洋である。
 秋が近くなつて、薄靄の掛かつてゐる松林の中の、清い砂を踏んで、主人はそこらを一廻りして来て、八十八という老僕の拵へた朝餉をしまつて、今自分の居間に据わつた処である。
 あたりはひつそりしてゐて、人の物を言ふ声も、犬の鳴く声も聞えない。只朝凪の浦の静かな、鈍い、重くろしい波の音が、天地の脈搏のやうに聞えてゐるばかりである。
 丁度径一尺位に見える橙黄色の日輪が、真向うの水と空と接した処から出た。水平線を基線にして見てゐるので、日はずんずん升つて行くやうに感ぜられる。
 それを見て、主人は時間といふことを考へる。生といふことを考へる。死といふ事を考へる。
「死は哲学の為めに真の、気息を嘘き込む神である、導きの神(Musagetes)である」と Schopenhauer は云つた。主人は此語を思ひ出して、それはさう云つても好からうと思ふ。併し死といふものは、生といふものを考へずには考へられない。死を考へるといふのは生が無くなると考へるのである。
 これまで種々の人の書いたものを見れば、大抵老が迫つて来るのに連れて、死を考へるといふことが段々切実になると云つてゐる。主人は過去の経歴を考へて見るに、どうもさういふ人々とは少し違ふやうに思ふ。

    *    *    *

 自分がまだ二十代で、全く処女のやうな官能を以て、外界のあらゆる出来事に反応して、内には嘗て…

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