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![]() ろっぱくきんせい |
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作品ID | 701 |
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著者 | 織田 作之助 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「現代文学大系 44 武田麟太郎・島木健作・織田作之助集 」 筑摩書房 |
入力者 | 山根鋭二 |
校正者 | Tomoko.I |
公開 / 更新 | 1999-10-15 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 39 ページ(500字/頁で計算) |
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楢雄は生れつき頭が悪く、近眼で、何をさせても鈍臭い子供だつたが、ただ一つ蠅を獲るのが巧くて、心の寂しい時は蠅を獲つた。蠅といふ奴は横と上は見えるが、正面は見えぬ故、真つ直ぐ手を持つて行けばいいのだと言ひながら、あつといふ間に掌の中へ一匹入れてしまふと、それで心が慰まるらしく、またその鮮かさをひそかに自慢にしてゐるらしく、それが一層楢雄を頭の悪いしよんぼりした子供に見せてゐた。ふと哀れで、だから人がつい名人だと乗せてやると、もうわれを忘れて日が暮れても蠅獲りをやめようともせず、夕闇の中でしきりに眼鏡の位置を直しながらそこら中睨み廻し、その根気の良さはふと狂気めいてゐた。
そんな楢雄を父親の圭介はいぢらしいと思ふ前に、苦々しい感じがイライラと奥歯に来て、ギリギリと鳴つた。圭介は年中土曜の夜宅へ帰つて来て、日曜の朝にはもう見えず、いはばたまにしか顔を見せぬ代り、来るたびの小言だつた。
「莫迦な真似をせずに修一を見習へ。」
そんな時、兄の修一はわざとらしい読本の朗読で、学校では級長であつた。見れば兄は頭の大きなところ、眉毛が毛虫のやうに太いところ、口を歪めてものを言ふところなど、父親にそつくりで、その点でも父親の気に入りらしかつた。
が、それにくらべると、楢雄はだいいち眉毛からしてフハフハと薄くて、顔全体がノツペリし、だから自分は父親に嫌はれてゐるのだと、次第にひがみ根性が出た。そして、この根性で向ふと、なほ嫌はれてゐるやうな気がして、いつそサバサバしたが、けれどもやはり子供心に悲しく、嫌はれてゐるのは頭が悪くて学校の出来ないせゐだと、せつせと勉強してみても、しかし兄には追ひ付けず、兄の後でこが異様に飛び出てゐるのを見て、何か溜息つき、溜息つきながら寝るときまつて空を飛ぶ夢、そして明け方には牛に頭を齧られる夢を見てゐるうちに、やがて十三になつた。
ある夜、何にうなされたのか、覚えはなかつたが、はつと眼をさますと、蒲団も畳もなくなつてゐて、板の上に寝てゐると思つた、いきなり飛び起きて、
「泥棒や、泥棒や。畳がない。」
乾いた声でおろおろ叫びながら、階下の両親の寝室へはいつて行くと、スタンドがまだついてゐて、
「え、泥棒……?」
と、父親の驚いた手が母の首から離れた。
母も父親の胸から自分の胸を離して、
「畳がどうしたのです。楢雄、しつかりしなさい。」
くるりと床の間の方を向いて、達磨の絵にむかつて泥棒や泥棒やと叫びながら、ヒーヒーと青い声を絞りだしてゐる楢雄の変な素振りを、さすがに母親の寿枝はをかしいと思つたのだ。
「二階の畳が一枚もない。眼鏡もとられた。」
そして楢雄はつと出て行くと、便所にはいり、
「津波が来た。大津波が来て蒲団[#「蒲団」は底本では「薄団」]も畳もさらはれた。猿股の紐が流れてくる。」
あらぬことを口走りながらジヤージヤーと板…