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或る嬰児殺しの動機
あるえいじごろしのどうき
作品ID707
著者佐左木 俊郎
文字遣い新字新仮名
底本 「恐怖城 他5編」 春陽文庫、春陽堂書店
1995(平成7)年8月10日
入力者大野晋
校正者鈴木伸吾
公開 / 更新1999-06-06 / 2014-09-17
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

       1

 都会は四つの段階をもって発達し膨張するのを常とする。海港の街は、まずその触手を海岸へ、海岸の空地へと伸ばしていく。田舎の小さな町でさえ、そこに一本の河川が流れていると、河岸へ河岸へと水に向けて広がっていく。そして、水際に猫の額ほどの空地もなくなると、第二段階としてその郊外に向けて農耕地域の上に触角を伸ばしていくのだ。その機構の許す限り、どこまでもどこまでも広がっていく。しかし、ここまではほんの広がるだけに過ぎない。広がり切れなくなったところで、初めて膨張が始まる。まず空へ! 建築という建築が空を目がける。上層建築が建ち並ぶ。太陽のない街が続く。街上に太陽が照らなくなると、第四段階の発達として、容易に地下の街が構成されるのだ。地下工場! 地下住宅! そして第五段階は? それはもはや都会の膨張発達を示す段階ではなく、地下と地上との対立を示す新しい出発点なのだ。消費者の占めていた地域の上に初めて生産者が氾濫し、生産者群の地帯が膨張するのだ。
 東京はいまその第二段階の軌道を踏んで、西郊一帯の農耕の地域に向けて広がりながら失業者を生んでいる。そして、社会のその宿命的な約束から逃れようとする人間の往来で、街上は朝の明け方から夜中まで洪水のような雑踏を極めている。わけても、新宿駅前から塩町辺にかけての街上一帯は日に日にその雑踏が激しくなるばかりだ。
 吾平爺は毎朝この雑踏の中を駆け抜けなければならないことを考えると、骨の底からの緊張を感ずるのであった。新宿駅前の、洪水のように吐き出されてきて四方へ散っていくあの人間の潮! そして市内電車。草色の市営乗合自動車。水色の市営乗合自動車。その間を無数の円タクが鼓豆虫のように縫い回るのであった。
 貨物自動車や自転車の間に挟まれて、雑踏に押し揉まれながらよちよちと重い荷車を曳いていく自分を、吾助爺は奔流の中に渦巻かれながら浮き沈みして流れていく木切れか何かのように感ずるのだった。
 吾助爺はこの洪水のような雑踏の中を押し切って、毎朝神田の青物市場へ野菜物を満載した荷車を曳いていくのだった。

       2

 青バスが爆音を立てながら徐行を始めた。二、三台のタクシーがその後へつかえた。貨物自動車が停まった。吾平爺はその煽り風を浴びて、自分の重い荷車が押し倒されるような気がした。爺は事実、よろよろとふた足ばかりよろめいた。
「どうしたってんだい!」
 敷石道のほうへ荷車を引き寄せながら爺は怒鳴った。
 貨物自動車や市営バスやタクシーは、二十間(約三六メートル)ほど先の交差点のところからつかえてきていた。そこには、群衆が真っ黒な垣をぎっしりと作っていた。
「何があるってんだい? お祭り騒ぎべえなくさって!」
 爺はもう一度そう怒鳴って、そこに立ち停まった自動車の間を縫ってようやく前のほうへ出ていった。青物市…

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