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駈落
かけおち
作品ID712
著者佐左木 俊郎
文字遣い新字新仮名
底本 「佐左木俊郎選集」 英宝社
1984(昭和59)年4月14日
入力者大野晋
校正者しず
公開 / 更新1999-10-18 / 2014-09-17
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一

 朝日は既に東の山を離れ、胡粉の色に木立を掃いた靄も、次第に淡く、小川の上を掠めたものなどは、もう疾くに消えかけていた。
 菊枝は、廐に投げ込む雑草を、いつもの倍も背負って帰って来た。重かった。荷縄は、肩に焼け爛れるような痛さで喰い込んだ。腰はひりひりと痛かった。脛は鍼でも刺されるようであったし、こむらは筋金でもはいっているようだった。顔は真赤に充血して、額や鼻や頬や、襟首からは、汗がぽたぽたと滴り落ちた。
「ああ、重かったちゃ。俺あ!」
 こう言って菊枝は、その雑草と一緒に、馬小屋の前に仰向きに身体を投げ出した。ほつれ下がった髪が、ぺったり顔にくっついていた。
「ああ、暑々。」
 菊枝は身体を投げ出したまま、背負っている草の上に、ぐったりとなって、荷縄も解かずに、向こう鉢巻きにしていた手拭いを取って顔や襟首の汗を拭った。
 婆さんが、裏の畑から、味噌汁の中に入れる茄子をもいで、馬小屋の前に出て来た。春からの僂麻質斯で、左には松葉杖をついていた。
「おう、おう、重かったべさ。二人めえもあっちゃ。」
 蒼白い皺だらけの顔に、婆さんは、鷹揚な微笑を浮かべて、よろこびの表情を示した。
「俺あ、ほんとに腰骨折れっかと思った。眼さ、汗は入えっし……」
「うむ重かったさ。――それにしても、よくこんなに刈れだで。」
「なあに、あの……」と菊枝は、語尾を濁した。
 実際、菊枝は、こんなに多くの草を刈って帰って来たことは無かった。いつも彼女の刈って来る量は、一回投げ込むだけのものであった。だから、午に投げ込むのと、夕方のとは、彼女の爺さんが、一日がかりで刈ることになっていた。併し、今朝は、彼女は不思議にも、いつもの二倍も刈って帰って来た。
「これなら婆さん、今朝は、半分やっていがんべ?」と彼女は、濁しかけた言葉を巧みに言い更えた。
「いいども、爺つあんはあ、なんぼか悦ぶべ。」
「ああ、暑かった。」
 菊枝は、もう一度こう言って、まだ赤くなっているその顔を、手で拭きながら、婆さんと一緒に馬小屋の前をはなれた。
「冷てえ、井戸水で面洗って。もうお飯はあ出来でっし、おつけも、この茄子せえ入れればいいのだから、早く食ってはあ。――片岡さ行ぐのに遅ぐなんべ。」
 婆さんはそう言い捨てて、茄子を洗いに井戸端へ行った。

     二

 爺さんは、むっつりと、苦虫を噛みつぶしたような面構えで、炉傍に煙草を燻かしていた。弟の庄吾は、婆さんの手伝いで、尻端折りになって雑巾掛けだった。
「爺つあん、今日は、午めえは草刈っさ行かねってもいいぞ。」と菊枝は、土間を掃こうと箒を取りながら言った。
「俺あ今朝、午の分まで刈って来たから……」
「あ、そうが! そいつは大助がりだ。」
 爺さんは、初めて無愛想な面構えをほどいた。菊枝も大変嬉しかった。
 この爺さんは、昔は非常な働き手だった…

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