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青春の逆説
せいしゅんのぎゃくせつ
作品ID732
著者織田 作之助
文字遣い新字新仮名
底本 「定本織田作之助全集 第二巻」 文泉堂出版
1976(昭和51)年4月25日
入力者小林繁雄
校正者伊藤時也
公開 / 更新2000-03-18 / 2014-09-17
長さの目安約 330 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

第一部  二十歳


第一章



 お君は子供のときから何かといえば跣足になりたがった。冬でも足袋をはかず、夏はむろん、洗濯などするときは決っていそいそと下駄をぬいだ。共同水道場の漆喰の上を跣足のままペタペタと踏んで、
「ああ、良え気持やわ」
 それが年頃になっても止まぬので、無口な父親も流石に、
「冷えるぜエ」とたしなめたが、聴かなんだ。蝸牛を掌にのせ、腕を這わせ、肩から胸へ、じめじめとした感触を愉んだ。また、銭湯で水を浴びるのを好んだ。湯気のふき出ている裸にざあッと水が降り掛って、ピチピチと弾み切った肢態が妖しく顫えながら、すくッと立った。官能がうずくのだった。何度も浴びた。
「五へんも六ぺんも水かけまんねん。良え気持やわ」と、後年夫の軽部に言ったら、若い軽部は顔をしかめた。
 お君が軽部と結婚したのは十八の時だった。軽部は小学校の教師、出世がこの男の固着観念で、若い身空で浄瑠璃など習っていたが、むろん浄瑠璃ぐるいの校長に取り入るためだった。下寺町の広沢八助に入門し、校長の驥尾に附して、日本橋筋五丁目の裏長屋に住む浄瑠璃本写本師、毛利金助に稽古本を註文したりなどした。
 お君は金助のひとり娘だった。金助は朝起きぬけから夜おそくまで、背中をまるめてこつこつと浄瑠璃の文句を写しているだけが能の、古ぼけた障子のようにひっそりした無気力な男だった。女房はまるで縫物をするために生れて来たような女で、いつ見ても薄暗い奥の間にぺたりに坐り込んで針を運ばせていた。糖尿病をわずらってお君の十六の時に死んだ。女手がなくなって、お君は早くから一人前の大人並みに家の切りまわしをした。炊事、針仕事、借金取の断り、その他写本を得意先に届ける役目もした。若い見習弟子がひとりいたけれど、薄ぼんやりで役に立たず、邪魔になるというより、むしろ哀れだった。
 お君が上本町九丁目の軽部の下宿先へ写本を届けに行くと、二十八の軽部はぎょろりとした眼をみはった。裾から二寸も足が覗いている短い着物をお君は着て、だから軽部は思わず眼をそらした。
「女は出世のさまたげ」
 熱っぽいお君の臭いにむせながら、日頃の持論にしがみついた。しかし、三度目にお君が来たとき、
「本に間違いないか、今ちょっと調べて見るよってな、そこで待っとりや」と坐蒲団をすすめて置いて、写本をひらき、
 ――あと見送りて政岡が……、ちらちらお君を盗見していたが、次第に声もふるえて来て、生唾をぐっと呑み込み、
 ――ながす涙の水こぼし……
 いきなり霜焼けした赤い手を掴んだ。声も立てぬのが、軽部は不気味だった。その時のことを、あとでお君が、
「なんや斯う、眼エの前がぱッと明うなったり、真ッ黒けになったりして、あんたの顔こって牛みたいに大けな顔に見えた」と言って、軽部にいやな想いをさせたことがある。軽部は小柄な割に顔の造作が大きく、太い…

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