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![]() ふゆのうみ |
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作品ID | 7924 |
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著者 | 宮本 百合子 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「宮本百合子全集 第二十九巻」 新日本出版社 1981(昭和56)年12月25日初版 |
初出 | 「宮本百合子全集 第二十九巻」新日本出版社、1981(昭和56)年12月25日 |
入力者 | 柴田卓治 |
校正者 | 土屋隆 |
公開 / 更新 | 2009-04-07 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 4 ページ(500字/頁で計算) |
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あんまりはっきり晴れ渡らない空合で、風も静かに気にかからぬまでに吹いて居る。
丁度満潮時で、海面は白と藍のむら濃になってゆるやかに息をついて居る。
かなり久しい間、海に来ないで居たので、波の音が、脳の中の、きたないものを皆持って行って呉れるかと思われる様に、新らしく感じられる。
小田原の海ほど高い波がよせないので、つれて景色ものどやかで、見て居ても快い。
波面と、砂がまぼしくひかる上から、短かい、細かな「かげろう」がチラチラもえて居る。
向うの青々した山の裾まで、かるく、ゆれて、ホンノリとして見えるので、まるで初春の雲雀でも鳴いて居る時の様に思われる。
まだ三※[#小書き片仮名ガ、414-12]日がすまないので、漁船は皆浜に上って居て、胴の間に船じるしの「のぼり」と松が立ててあるその下で、「あさぎ地」に赤で、裾模様のある、あの漁師特有の「どてら」の様なブワッとしたものを着た、色のまっ黒な男が、「あみ」をつくろったり、立ち話しをしたりして居る。
いかにもお正月らしい。
正月の海辺は今年始めて見たのだけれ共、東京の町中等より眼先のかわった、単純な面白味がある。
漁師共の着て居るその「どてら」みたいなものと、船じるし、松飾りをした船とが、しっくりとつり合って、絵にでも書いて置きたい様に見える。
春先の様に水蒸気が多くないので、まるで水銀でもながす様に、テラテラした海面の輝きが自然に私の眼を細くさせる。
この海からの反射光線が、いつでも私の頭――眼玉の奥をいたくさせるのである。
此処いら――江の島、七里ヶ浜あたりの波は随分と低い。
それに、すぐ目の前に江の島の、あの安っぽい棧橋側が見えて、うすきたない石がけにごみがよせて見えるので、何となし俗っぽい。
あの江の島の貝細工店の女達の様に、いやみなところがどこかある。
けれ共、松のある出島の裾まで、白い波頭がゆるやかに見渡せて、ザザザザ――と云う響が、遠くから、次第に近く、よせて来て低い砂を□う波が、白い水泡をのこしては引いて行く様子は必して悪いはずもない。
江の島があるばっかりに、ここいらの品がすっかり落ちて仕舞った、惜しい事だ。
そうかと云って又、江の島があればこそ、私達の様なものまで、わざわざ時間をかけて来るのでもある。
江の島の弁天様が、おいであそばさなかったら、ここへ、よし来は来ても、御飯をたべる処もない事を思えば、まんざらそう、けなしもならないわけである。
潮加減か、波のすぐ下に、背の青い小魚がむれて、のんきそうに、ゆーらり、ゆーらりとゆれて居る。
棧橋の上に、それをねらった二三の漁師が、「あみ」を手にもって、ニヤツキながらそれを上から見下して居る。早く、どっかへ行けばいいにと思って私はその漁師とならんで、その青い小魚の群に気をとられるのである。一体冬の海は、春の海、…