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作品ID | 7926 |
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著者 | 宮本 百合子 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「宮本百合子全集 第二十九巻」 新日本出版社 1981(昭和56)年12月25日初版 |
初出 | 「宮本百合子全集 第二十九巻」新日本出版社、1981(昭和56)年12月25日 |
入力者 | 柴田卓治 |
校正者 | 土屋隆 |
公開 / 更新 | 2009-04-07 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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時候あたりの気味で、此の二三日又少し熱が出た。
いつも、飲めと云われて居る滋亜燐を何と云う事はなしに忘れて、遠のいて居たからだと云われた。
私は、自分の体を少しも、粗末にあつかって居ないと思って自分では居るけれ共、はたのものの、皆が皆、私は体をむごくあつかって居ると云って居る。
何か仕事があると、それに熱中して、体の事を忘れては仕舞うのが癖である。
毎日毎日連続してある仕事をひかえてなど居る時は、随分夜更かしもしたり、やたらにお茶をのんだりする、事はある。
私は病弱して、病気に掛ろうものなら、それほどの病気でもなくて、すぐ、眼が落ちくぼんだり、青くしょぼしょぼになったりする、じき死んで仕舞いそうな気になるのである。
昨夜も、何となし、あつかったので、計って見ると七度七分あった。いつもより高くあがって居るのを見ると、何だか急に、大病にでもなった様な、又、大病の前徴ででも有りはしまいかと云う心持になって、おずおずと母の処へ行く。
そうすると、私はきっと母に云われる。
第一夜更ししてのむべき薬をのまなかった事、只一寸の間、足袋なしで居た事を皆、この熱の原因として責められる。
「お前は、求めて病気をして居るんだから。
そう云われるのが何よりつらい。
熱の出たと云う事よりも苦しい事である。父は、あんまりの心配から、腹立たしい様に、
「それは、大病の元なんだからね。
青くひょろひょろになって肺病なんかんなったって、
私は見舞になんか行かれないんだ。
と云う。
私は、ポロポロ涙をこぼしてきいて居なければならない。
母がそう云うのも、父が云う事も、心配してくれるのだと云う事は分りきって居ながら、何だか、それほどには云わないでも、と云う気がする。
ほんとうに何でもない、只の風だ。
私はそう思って居ながら、父の云った事なんかを思い出すと、身も世もあられない様な思がする、のである。
キニーネをのんで、ひとりで、寝部屋に行って、厚い毛布の間に包まって顔ばかり出して、まだからっぽで居る弟共の二つの床を見て居ると、あたりの静けさにさそわれて、気持も、しっとりとなって、唇が何だかパサパサするのをしめしながら、いろいろな事を思う。
勿論この熱で私の命のなくなる様な事は有り得ない事である。
けれ共、いずれ一度は、死ななければならないにきまって居る。
なろう事なら、海の荒れで死んだり、汽車にひかれたりしては死にたくないものだ。
そいで又、出来るだけ永い間、世の中に活動して居たい。
何だか世の中が味気なくて早く死んでしまいたいと云って居る人でさえ、いざ死ぬ時が来たと云って大恐悦で、何の悲しみなしに死ぬ人はないだろう。が、悲しみがなくて死ねる人は頭が死んで居るから、悲しくなくて、死ねるのである。
私など、今死ぬなんかと云ったら、どんなにまあ泣く事だろ…