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台風
たいふう
作品ID809
著者与謝野 晶子
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆19 秋」 作品社
1984(昭和59)年5月25日
入力者渡邉つよし
校正者浦田伴俊
公開 / 更新2000-06-22 / 2014-09-17
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 八月十三日。
 昨夜は夜通し蒸暑くて寝苦しかつた。夕刊の新聞に台風が東京をも襲ふ筈だと書いてあつたが、夜の十時頃から果してそれらしい風が吹き出した。併し雨はまだ小降であつた。蚊遣線香が無くなつたので十一時で筆を止めて蚊帳の中に入つたが、寝苦しいままに何時しかうとうととすると、アウギュストが啼いたので目が覚めた、もう夜明である。白んだ戸の隙間から吹き込む風で蚊帳が凄じい程煽られて居る。次の室から起きて来た二人の女の児が戸の間から庭を覗いてコスモスもダアリヤも折れて仕舞つたと言つて居る。劇しい風雨の音が山中で聴いて居るやうである。

 台風と云ふ新語が面白い。立秋の日も数日前に過ぎたのであるから、従来の慣用語で云へば此吹降は野分である。野分には俳諧や歌の味はあるが科学の味がない。勿論「野分の又の日こそ甚じう哀れなれ」と清少納言が書いた様な平安朝の奥ゆかしい趣味は今の人にも伝はつて居るから、野分と云ふ雅びた語の面白味を感じないことは無いが、それでは此吹降に就ての自分達の実感の全部を表はすことが不足である。近代の生活には科学が多く背景になつて居る「呂宋を経て紀伊の南岸に上陸し、日本の中部を横断して日本海に出で、更に朝鮮に上陸す」と気象台から電報で警戒せられる暴風雨は、どうしても「台風」と云ふ新しい学語で表はさなければ自分達に満足が出来ないのである。

 清少納言は野分の記事の中に萩や女郎花の吹き倒されたのを傷ましがつて居るが、ダアリヤやコスモスの吹き倒される哀れさは知らなかつた。おなじ草花でも彼と是とは感じが異ふ。今の人は歴史的な萩や女郎花の趣も知つて居る上に、舶載の花の新味も知つて居るのであるから、今の台風は昔の野分に比べて趣味の点から云つても内容が複雑になつて居る。新しい詩人は台風を歌つて屹度歌や俳諧にある野分以上の面白い新篇を出すであらう。文明と云ふものは前代の文明の中から今日にも役に立つ純粋な美点だけを伝えて、其上に今日の生活が生んだ新しい美点を加へようとするので、自然、前代の用語では現代の文明が盛り切れなくなつて、是非とも新しい用語や新しい形式が必要になる。それを覚らない人は不知不識現代の生活から孤立して、偏したり、僻んだり、なんでも新しい世態に難癖を附けたりする保守気質の人になつて仕舞ふ。忠孝道徳や賢母良妻主義の教育やで押通さうとする人などが矢張それである。忠孝も賢母良妻も其必要なことは今の人に取つて解り切つたことである。併し今の人はそれのみでは生活が出来ない、其上に世界の文明と呼吸の合ふいろんな思想を内容とした生活をして居るから、この現代生活の律動を象徴する標語として忠孝や賢母良妻を応用しようとするのは非常に不十分なのである。
 自分はこんな事を考へながら顔を洗つて、朝の食事を子供等と一所に済ませた。例の様に麺包と珈琲だけで朝の食事を別に座敷で済ませ…

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