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笑う唖女
わらうおしおんな |
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作品ID | 931 |
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著者 | 夢野 久作 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「夢野久作全集4」 ちくま文庫、筑摩書房 1992(平成4)年9月24日 |
初出 | 「文芸」1935(昭和10)年1月 |
入力者 | 柴田卓治 |
校正者 | 小林繁雄 |
公開 / 更新 | 2000-06-21 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 32 ページ(500字/頁で計算) |
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「キキキ……ケエケエケエ……キキキキッ」
形容の出来ない奇妙な声が、突然に聞こえて来たので、座敷中皆シンとなった。
それはこの上もない芽出度い座敷であった。
甘川家の奥座敷。十畳と十二畳続きの広間に紋付袴の大勢のお客が、酒を飲んでワイワイ云っていた。奇妙な謡曲を謡う者、流行節を唄い唄い座ったまま躍り出しているもの……不安とか、不吉とかいう影のミジンも映していない、醇朴そのもののような田舎の人々の集まりであった。それが皆、突然にシンとしてしまったのであった。
「……何じゃったろかい。今の声は……」
「ケダモノじゃろか」
「鳥じゃろか」
「猿と人間と合の子のような……」
「……春先に鵙は啼かん筈じゃが……」
皆、その声の方向に顔を向けて耳を澄ました。二間の床の間に探幽の神農様と、松と竹の三幅対。その前に新郎の当主甘川澄夫と、新婦の初枝。その右の下手に新郎の親代りの村長夫婦。その向い側には嫁女の実父で、骨董品然と痩せこけた[#「痩せこけた」は底本では「痩せこせた」]山羊鬚の頓野羊伯と、その後妻の肥った老人。仲人役の郡医師会長、栗野医学博士夫妻は、流石にスッキリしたフロックコートに丸髷紋服で、西日の一パイに当った縁側の障子の前に坐っていた。その他、村役場員、駐在所員、区長、消防頭、青年会長、同幹事といったような、村でも八釜しい老若が一ダースばかり下座に頑張って、所狭しと並んだ田舎料理を盛んにパク付いては、氏神様から借りて来た五合、一升、一升五合入の三組の大盃を廻わしている。皆相当酔っているとはいうものの、まだ、ほんの序の口といってもいい座敷であった。
縁側の障子際に坐っている仲人役の栗野博士夫妻は最前から頻りに気を揉んで、新郎新婦に席を外させようとしていたが、田舎の風俗に慣れない新郎の澄夫が、モジモジしている癖にナカナカ立ちそうになかった。やっと立上りそうな腰構えになると又も、盃を頂戴に来る者がいるので又も尻を落付けなければならなかった。そうして、やっと盃が絶えた機会を見計って本気に立上ろうとしたところへ、今一度前と違った奇怪な叫び声が聞こえたので、又もペタリと腰を卸したのであった。
「アワアワアワ……エベエベ……エベ……」
「何じゃい。アレ唖ヤンの声じゃないかい」
「唖ヤンの非人が何か貰いに来とるんじゃろ」
「ウン。お玄関の方角じゃ」
「ああ、ビックリした。俺はまた生きた猿の皮を剥ぎよるのかと思うた」
「……シッ……猿ナンチ事云うなよ」
そんな会話を打消すように末席から一人の巨漢が立上って来た。
「なあ花婿どん。イヤサ若先生。花嫁御はシッカリあんたに惚れて御座るばい」
そう云ううちに新郎の前へ一升入の大盃を差突けたのはこの村の助役で、村一番の大酒飲の黒山伝六郎であった。見るからに血色のいい禿頭の大入道で、澄夫の膳の向うに大胡座をかいた武者振は堂々たる…