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半七捕物帳
はんしちとりものちょう
作品ID959
副題11 朝顔屋敷
11 あさがおやしき
著者岡本 綺堂
文字遣い新字新仮名
底本 「時代推理小説 半七捕物帳(一)」 光文社時代小説文庫、光文社
1985(昭和60)年11月20日
入力者tatsuki
校正者曽我部真弓
公開 / 更新1999-08-28 / 2014-09-17
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「安政三年……十一月の十六日と覚えています。朝の七ツ(午前四時)頃に神田の柳原堤の近所に火事がありましてね。なに、四、五軒焼けで済んだのですが、その辺に知っている家があったもんですから、薄っ暗いうちに見舞に行って、ちっとばかりおしゃべりをして家へ帰って、あさ湯へ飛び込んで、それからあさ飯を食っていると、もうかれこれ五ツ(午前八時)近くになりましたろう。そこへ八丁堀の槇原という旦那(同心)から使が来て、わたくしにすぐ来いと云うんです。朝っぱらから何だろうと思って、すぐに支度をして出て行きました」
 半七老人は表情に富んでいる眼眦を少ししかめて、その当時のさまを眼に浮かべるように一と息ついた。
「旦那の家は玉子屋新道で、その屋敷の門をくぐると、顔馴染の徳蔵という中間が玄関に立っていて、旦那がお急ぎだ、早くあがれと云うんです。すぐに奥へ通されると、旦那の槇原さんと差し向いで、四十格好の人品の好いお武家が一人坐っていました。その人は裏四番町に屋敷をもっている杉野という八百五十石取りの旗本の用人で、中島角右衛門という名札をわたくしの前に出しましたから、こっちも式のごとくに初対面の挨拶をしていますと、槇原の旦那は待ち兼ねたように云うんです。実はこの方から内々のお頼みをうけた筋がある。なにぶん表沙汰にしては工合が悪いので、どこまでも内密に探索して貰いたいとおっしゃるのだから、あなたから詳しい話をうかがって、節季前に気の毒だが一つ働いてくれと……。わたくしも御用のことですから委細承知して、その角右衛門という人の話を聞くと、そのあらましはこういう訳なんです」

 きょうから八日前のことであった。例年の通りに、お茶の水の聖堂で素読吟味が行なわれた。素読吟味というのは、旗本御家人の子弟に対する学問の試験で、身分の高下を問わず、武家の子弟が十二三歳になると、一度は必ず聖堂に出て四書五経の素読吟味を受けるのが其の当時の習慣で、この吟味をとどこおりなく通過した者でなければ一人前とは云われない。吟味の前月までに組々の支配頭へ願書を出しておくと、当日五ツ半(午前九時)までに聖堂に出頭せよという達がある。それを受け取った何十人、年によっては何百人の男の児が、当日打ち揃って聖堂の南楼へ出て、林図書頭をはじめとして諸儒者列席の前に一人ずつ呼び出され、一間半もある大きい唐机の前に坐って素読の試験を受けるのである。成績優等のものに対しては、身分に応じて反物や白銀の賞与が出た。
 出頭の時刻は五ツ半というのであるが、前々からの習慣で、吟味をうける者は六ツ時(午前六時)頃までに聖堂の門にはいるのを例としていたので、屋敷の遠い者は夜のあけないうちから家を出て行かなければならない。そうして、いよいよ吟味のはじまる四ツ時(午前十時)まで待っていなければならない。たとい武家の子供だと云っても、ちょうど十二…

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