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本はどのように消えてゆくのか
ほんはどのようにきえてゆくのか
著者津野 海太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「本はどのように消えてゆくのか」 晶文社
1996(平成8)年2月10日
入力者津野海太郎
校正者
公開 / 更新1997-09-28 / 2019-05-01
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

はじめに
 はたして紙と活字の本はなくなるのか。
 おそらくなくなるだろう。
 ただし私は、いずれは日本語表記から漢字がなくなるだろう、と本気で考えているような人間でもある。いつか、われわれの書く文章から漢字が一つのこらず消えてなくなる日がやってくる。そのころまでには紙と活字の本だって自然消滅しているにちがいない。
 それまで百年、二百年、いや三百年か。
 いずれにせよ遠いさきの話だ。マルチメディアや光ファイバー・ネットワークによって、あすにも紙と活字の本がなくなるかもしれないといった危機意識の盛りあげ方は、ちょっと古いのではないか。そんなにおどかさないでほしい。
 遠い将来、もし本がなくなるとしたら、それはどのようにしてなくなるのだろう。紙と活字の本はどんな段階をふんで消滅の時をむかえるのか。
 それを考えるには、まず「本とはなにか?」を定義しておく必要がある。いろいろな定義のしかたがあろうが、私としてはまず、本のモノとしての側面に注目したい。私は単純な人間だから単純にいってしまう。私たちのような日本語人間にとっての本とは、まず第一に、

 [#挿絵]明朝体の文字をタテヨコそろえて組み、
 [#挿絵]それを白い紙の上にインクのしみとして定着し、
 [#挿絵]綴じてページづけしたもの。

 を意味する。
 これらの条件のうちの一つか二つが変化した程度では、本がなくなった、とはいわない。定義上、これらの条件のすべて、つまり本というモノのしくみがまるごと別のものにとってかわられて、はじめて「紙と活字の本は消滅した」ということができる。

第二次組版革命とはなにか
 日本語で読み書きする人間にとって、とわざわざことわったのは、[#挿絵]の「明朝体の文字をタテヨコそろえて組む」という条件を重視したいと思ったからだ。
 楷書をお手本にした、タテの線が太くてヨコの線が細い印刷用の書体が明朝体である。それを五十音図のようにタテヨコきちんとそろえて組みあげる。これを桝形組版という。見出し文字や広告コピーの類をのぞけば、私たちのまわりにある印刷物の本文は、基本的には、すべて桝形組版によって印刷するきまりになっている。もちろん、このページもそうなっているはずだ。もしそうなっていないとしたら、この本をつくった編集部はシロウトのあつまりということにされてしまう。それほどにこの組版ルールの規範力はつよいのである。
 桝形組版の習慣は、日本では明治のはじめにできあがった。この国の活版印刷術は中国のそれをお手本にしている。中国は漢字の国だから、目に見えない正方形の枠に合わせてすべての文字がデザインされる。それをまねて、われわれの先人たちは、それぞれに大きさがいちじるしくことなるかな文字をも、同面積の、小さな正方形に押しこめてデザインしなおすことに成功し、そのことによって、かな漢字まじり文…

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