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近代支那の文化生活
きんだいしなのぶんかせいかつ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「内藤湖南全集 第八巻」 筑摩書房
1969(昭和44)年8月20日
初出東亜同文会講演会講演、1928(昭和3)年7月
入力者はまなかひとし
校正者菅野朋子
公開 / 更新2001-08-07 / 2014-09-17
長さの目安約 35 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

          一

 問題は如何にもハイカラに聞こえる問題でありまして、近頃の考へに向きさうでありますけれども、材料は私が考へて居る材料でありますから、至つて古臭いので、一向内容にハイカラな所はありませぬ。
 抑も支那の近代といふことが一體どういふことか、歴史の學問をやりますのに能く時代を上古とか、中世とか、近代とか申して分けますけれども、支那はあゝいふ古い國でありますから、其の各々の時代を朝名の明代とか清代とかいふやうに分けたりすることもあります。大體明代とか清代とかいふ風に分けますのは、眞に便宜上の區別でありまして、それは殆ど學問上からいふと何の意味も成さぬ位のことであります。それからして近代とか古代とか申しました所が、我々が今日存在して居る年から逆に遡つて何年位までが近代であるか、何年位までが中世、何年位までが古代といふ風にはつきりと分けられると結構でありますが、それがどうも國によつて一樣でありませぬ。手近な處で考へました所が、日本の開闢は何年程になりますか、よく我々は紀元二千五百年とか申しますが、專門の歴史家の方からいふと耶蘇紀元と大抵似た位に日本が開けたやうに申します。兎に角二千五百年と致しました所が、支那のやうな、日本より倍でもありませぬけれど、能く一口に四千年などと申します。四千年が三千年であつても日本とは大體年數が違ひます。もしそれで國とか或は民族といふやうなものも、其長い年數の間生活して續いて來て居るものと致しますれば、其の間に開闢から今日まで四千年程齡をとつて居る國もあり、日本のやうに或は二千年位齡をとつて居る國もあるわけであります。さうしますと、同じくその中で古代とか、中世とか、近代とか分けましても、其の各々の年數が違つて來ます。これは單に素人の考へでやりました相違でありますが、その外にも、その國の事情に依つて、色々又その見方を違へなければならぬことが出て來ると思ひます。さうして實は國とか民族とか申しますものは、其の時代を分けるのには、さう簡單に年數などで以て分けらるべきものではなく、根本に其の國、其の民族の…………一人の人間で申せば幼稚な時期と青年の時期と、それから老衰の時期とある如く、國とか民族とかいふものにも、さういふものがあると致しますると、古代といふやうな幼稚な時期がどの位、何年から何年位の間に當る、中世といふのはどの位からどの位に當るといふやうな、各々相違があるわけであります。さうして其の又各々の時代、幼少の時期、それから壯盛な時期、それから老衰の時期といふやうなのは、その各々の國に特別なこともあり、或は各民族に共通した點もありますが、要するに各々時期に依つて有する内容が違ふと思ひます。それを本當に考へぬといふと、單に近代と申しましても、近代といふことが一體どういふ意味か分らない。それで殊に支那は今申す通り、日本などか…

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