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バラック居住者への言葉
バラックきょじゅうしゃへのことば
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」 未来社
1967(昭和42)年11月10日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-01-24 / 2014-09-18
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 バラックに住む人々よ、諸君は、バラックの生活によって、云い換えれば、僅かに雨露を凌ぐに足るだけの住居と、飢渇を満すに足るだけの食物と、荒凉たる周囲の灰燼と、殆んど着のみ着のままの自分自身と、其他あらゆる悲惨とによって、初めて人間の生活というものを、本当に知ったに――感じたに違いない。
 普通の生活に於ては、諸君の大部分は、生活というものをしみじみと味うことが、可なり少なかったことであろう。金銭や名誉は勿論、其他のいろんな事柄が、諸君の面前に、余りにまざまざと掲げられていたために、自分の生活を本当に感じ味うだけの余裕が、諸君には可なり欠けていたことであろう。所が此度の災禍によって、諸君の眼を惹きつけていたそれら外的な旗幟が、一度に消し飛ばされて、もはや眼を遮るものは何もなくなり、そして諸君の眼はじかに、己の生活の上に据えられたことであろう。
 そして諸君は、其処に何を見て取ったか。
 その一つは、家庭というものだったに違いない。
 家庭――この言葉を吾々は平素余り無責任に取扱いすぎていた。然しながら、今や諸君の眼には、新らしい光に輝らし出された家庭というものが、本当に映ってきたことであろう。同じ家に幾人かの人間が一緒に暮している、というただそれだけのものではない。良人と妻と親と子、心と肉体との通い合った者共が、一つの生活――一つの生活ということが大切なのだ――の中に結び合わされている、そういう家庭なのである。それは全体で一つのものをなしている。その中から誰か一人を取去ることは、一人の人間の身体からどの部分かを取去ることと、殆んど同じであらねばならぬ。家庭全体として、その部分に傷と痛みとを感じ、その部分から血を流すのである。
 そういう家庭が、バラックの生活に於て、諸君の眼に本当に映ったことであろう。平常の生活に於ては、良人は家庭外の仕事のために、妻は家政の煩わしさのために、子は自由勝手な嬉戯のために、別々の方へ心を向けがちだったであろうが、バラックの狭苦しい板囲いの中で、ランプの薄暗い光の下で、乏しい食膳のまわりに集って、皆で顔を見合す時、云い知れぬ家庭的感激が諸君の眼を湿ませなかったであろうか。
 古の各家庭には、また現代でも素朴な各家庭には、大抵一の神棚があって、そこに家庭の神が祀られてるのを常とする。神というものは、人間の理想の具体化であると共に、人間の気高い感情の象徴である。家庭の神――それが本当の家庭の心である。バラックに住む諸君は、家庭の神に跪拝するの心地を、味い得たことであろう。
 家庭を愛するの心は、他の博い愛の基をなすものである。神に奉仕せんがために己の家庭を捨てる、そういう生活様式も世にあることを、私は否定するものではない。然しながら、吾々及び諸君の生活様式では、家庭を捨てることは、他のあらゆる愛を捨てることになる。自分の家族よりもより多…

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